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お前がやってみろ、と言う前に。

めずらしく今日は、朝からずっと外に出ている。

ライターという仕事にもいろんなタイプがあって一概には言えないのだけれども、一冊の本を半年・一年とかけてつくるぼくのようなライターの場合、基本は会社に引きこもってずっと原稿を書いている。外に出てなにかをする機会は、せいぜい週に2〜3回程度だ。

ほかの方はどうだか知らないけれど、書くことはつらい。ずっとあたまを動かしてなきゃいけないし、手も動かしてなきゃいけない。鼻歌まじりに、流れ作業のように進められる時間はほとんどない。景色の変わらない部屋で、ずっと次のことばを探している。

なのでむかしは、忙しぶってる編集者やプロデューサー的立場のひとが、ほんとに苦手だった。たとえばその日に打ち合わせが10件入っているとして、そりゃ分刻みのスケジュールではあるだろうけど、それでも打ち合わせればお前の仕事は終わりじゃねえか。こっちは打ち合わせたあとから仕事がはじまるんだ。テキトーな雑談レベルのアイデアをかたちにするのはこっちなんだよ、なんならテメエがやってみろ、こんちきしょう。みたいなことを思ってしまっていた。

これはまったくプロ失格の発言・発想で、もしもあなたがなにかのプロを自覚するのなら、誰に対しても「お前がやってみろ」を言ってはいけない。そんじょそこらの「お前」たちにできないことをやっているからこそ、あなたはプロであり、プロとしての対価を得ているのだ。ほんの少しでも「お前がやってみろ」と思うなら、それはプロであることを放棄しているのと同じだと、ぼくは思っている。

もしも「お前がやってみろ」を言うべき相手がいるとしたら、それはやる前からぐだぐだ不平不満をくり述べている自分自身なのである。