ごほうびの選択肢。
水分が足りていない。
健康診断で血液検査をするたびに受ける指摘である。普段どれくらいの水を飲んでいますかと問診され、その摂取量を答えると大抵ダメ出しを食らう。そしてみな、1日あたり2リットルを目安に飲みなさいとアドバイスする。緑茶や紅茶やコーヒーなど、カフェインを含む飲料はカウントせず、水や麦茶やルイボスティーやで2リットルなのだと。先日はついに、マッサージ師にまで同様のアドバイスをいただいた。足のあちらこちらを揉んで彼は、ぼくの水分不足を見事に言い当て、やはり目安としての2リットルを厳命したのである。
水には栄養がない。いや、厳密にはミネラル分とかあるのだろうけど、少なくとも肉体疲労時の栄養補給として水を飲む人は少ない。水を飲むのは栄養補給ではなく、ただの水分補給である。そしてまた、水には味がない。いやいや、わかる。こちらも正確にはあるのだろう。けれどそれは、カルキ臭の残る水道水など「まずい水」との対比で語られるものであって、あまいとか塩からいとかの味は、基本ない(あったら大変である)。
なので水とは、(栄養価を考えて)あたまで飲むものはではなく、その味を求めて舌で飲むものでもなく、もっと原初的な渇きを癒すため、本能のところで飲むものだと思われる。そしてぼくの場合はどう考えても、本能が1日2リットルもの水を求めていない。飲んでいて身体にいい実感もほとんどなく、お腹がたぽたぽしたり、トイレに行く回数が増えて困るくらいである。おそらくは本能にまかせず、薬だと思うくらいの心持ちでガブガブ飲んでいくべきなのだろう。
ところでうちの犬は、感心するくらいに水が好きだ。プロフィールの「好きな食べもの」欄に「水」と書いてあげたいくらい、ただの水を愛飲する。あまりの飲量から獣医さんに相談したほど、それは甚だしい。そして飲んだぶん、当然ながら排尿する。その間隔はコーヒー常飲者の比ではなく、10分のうちに数回排尿することもしばしばだ。わが家のトイレシート消費量は、それはそれはとんでもない。
原因は、わかっている。
仔犬のちびすけ時代、トイレの存在を教えるためにわが家では、彼が上手にトイレで排尿するたび、ひとつぶのおやつを与えていた。そして見事にトイレを覚えてからは、おやつを与えなくなった。そりゃそうだ、おしっこしただけだもの。けれども彼は、いまでも「もしかしたら、もらえるかも」と思っている。思ってせっせと水を飲み、排尿活動に励んでいる。犬と暮らしていない方はご存じないだろうが、犬とは「水を飲むこと」と「おしっこをすること」のつながりを理解しながら生きているのである。
……ということで考えた。
おれもうちの犬にならって、水を飲んだ先に「ごほうび」を用意したらいいのではないか。1リットルを飲んだらこれ。2リットル飲んだらこれ。そんなふうに「ごほうび」が設けてあれば、もっと積極的に水を飲むようになるんじゃないか。
が、考えても考えても「ごほうび」が浮かばないのである。うちの犬の「おやつ」に匹敵するだけのごほうびが、どうやっても浮かばない。ひとつぶのチョコレートや飴玉のために2リットルの水を飲めないのはもちろん、よくよく考えてみれば人生全般における「ごほうび」が、容易に思いつかないのだ。そりゃあ口を開けば「ゆっくり休む時間がほしい」とか言ってる自分ではあるものの、あったらあったでぐずぐず無駄に過ごすのが時間というものだ。そしてぐずぐずをしたいのかと問われると、決してそうではない。考えようによっては、けっこう深刻だ。「ごほうび」の思い浮かばない人生は。
うーん、コロナ禍の1年半で「自分に用意のできる『ごほうび』の選択肢」は、確実に減っちゃった気がするなあ。