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趣味よりもほしいもの。

「あなたの趣味はなんですか?」

そんなふうに問われると、やや返答に窮する自分がいる。言おうと思えば言えるのだ。「趣味は読書です」とか、「映画鑑賞です」とか、「音楽鑑賞です」とかのことばは。昭和の荒くれ者についてまわる「飲む、打つ、買う」の語になぞらえるなら、「読む、観る、聴く」だ。

けれどもそれらは、趣味というほどのものでもない気がする。ぼくの考える趣味ってのは、もっと特別というか、たとえば3日後にその予定が入っているとしたとき、それだけでうれしくなるような種類のものだ。それで言うとぼくにとっての「読む、観る、聴く」は、趣味ってよりも「日常」に近い。


で、思うのだ。ほんとうにうらやましいのは、「趣味が多い人」ではなく、「日常が豊かな人」だよなあ、と。

んー、うまい例が浮かばないけれど、たとえば日常のなかに「家庭菜園の世話」が組み込まれている人は、それだけで豊かに映る。なんなら「散歩」が組み込まれているだけでも、かっこいい。自分にはない日常のありようが、うらやましいのだ。そして日常が豊かであれば、その人の書くエッセイはきっとおもしろいだろう。

うちに犬がやってきて以来、「犬の世話」や「散歩」がぼくの日常に加わった。「読む、観る、聴く」ばかりだった日常に、別の色が添えられた。あるいは最近、この歳にしてようやくワインのおいしさがわかったというか、その味を好むようになってきたのだけれども、これもまた日常に別の花が咲いたような感覚がある。

体質的にどうもぼくは「読む、観る、聴く」に対して修行僧のような態度で向き合ってしまうところがある。犬とワイン。いまようやく手に入れた日常を大事に育てていきたい。

って別に、毎日飲んでるわけじゃないんですけどね。「いつも家になんかのワインの瓶がある」というだけで、ぼくには十分な日常なんです。