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ぼくのこころのバロメーター。

おれ、なんだか調子が悪いんだろうなあ、と気づく瞬間がある。

あたまが痛いとかお腹が痛いとか、胃が悪いだとか腰が痛むとか、そういう種類の不調ではなく、もうちょっと自覚のむずかしい、こころのほうの不調だ。いまから10年以上前、ぼくは本格的にこころを崩したことがある。思い返すのもうんざりするほど仕事を詰め込み、食事を粗末にし、睡眠を粗末にし、お風呂に入ることも粗末にし、起きている時間のほぼすべてを原稿に費やす期間が2年ほど続いたある日のこと。

いつものように原稿を書いていた。5文字や10文字、なにか書く。「ああ、なんか違うな」と消して、また書きはじめる。5文字や10文字、なにか書く。「うーん、違うな」と再び消す。どうにか1行、書き上げる。けれどもやっぱりしっくりこない。書いては消し、消しては書き、気がついたら夜中になる。「ああ、そろそろ限界だ。いったん眠ろう」。そうやってパソコンのディスプレイを見て愕然とする。朝から晩まで働いて、たったの1行しか書けていないのだ。あれほど書いたはずなのに、書き進んだつもりだったのに、まったく書けていなかったのだ。

翌週、ひさしぶりの取材で会った編集者が、ぼくの顔を見るなり病院行きをすすめた。聞けば取材中も、ぼくはずっとうわの空めいたやりとりしかできていなかったのだという。そしてぼくは、入れていた仕事をぜんぶキャンセルし、約2か月間の休養をとった。

もう、あんな無茶な働きかたはしていない。「書いても書いても1行」みたいな経験もあれが最後だし、いまはぜんぜん元気だ。それでも心身の不調、その初期症状を自覚することがある。


どうでもいいことにケチをつけたくなる場面が、やたら増えていくのだ。とくにネットニュースや SNS を見ていると、その気持ちが高ぶってくる。いちいち腹を立てたり、文句をつけたくなる自分がいる。


「なんか最近、いやなニュースが多いよなー」


そう感じたときは、世のなかがおかしくなっているのではなく、自分の調子がおかしくなっているのだ、ぼくの場合。「いやなニュースの体感値」が、ぼくのこころのバロメーターなのだ。

あとはやっぱり、忙しいからってごはんをおろそかにしたり、睡眠を削ったり、湯船に浸かることを億劫がったりしちゃだめですよね。