見出し画像

アドバイスに代わることばを。

メジャーリーガーはあまり練習しない、と言われる。

しかし、日本からアメリカに渡った野球選手のインタビューなどを読むと、かならずしも練習しないわけじゃないらしい。メジャーでは全体練習の時間が短いだけで、その後におこなわれる個人練習の時間を合計すると、日本とさほど変わらないのだそうだ。そして一流の選手ほど、ハードな個人練習に取り組んでいるという。

また、コーチの役割も違うそうだ。メジャーリーグのコーチたちは、日本みたいな「指導」をほとんどおこなわず、選手から相談されたり助言を求められたときにだけアドバイスする。身体をケアするため「やってはいけないこと」の細則(キャッチボールの時間とか、投球練習の球数とか)はいろいろ決められているようだけど、それ以外に関しては選手の自主性にまかせるのが基本らしい。

一方、日本においてアドバイスと指導は、ほぼ同義語だ。これは野球にかぎらず、学校教育の現場でも、企業においてもそうだろう。上司や先輩のアドバイスとは指導であり、命令であり、ときにお説教である。


で、アドバイスのふりをした指導やお説教はよくないよね、こころが削られちゃうよね、もっと別のアプローチを考えなきゃいけないね、という当たりまえの事実が現在、「パワーハラスメント」などのことばとともに浸透しつつある。これ自体はとてもいい流れだ。

しかしながら一方、日本に暮らすわれわれは質問や相談が、あまりうまくない。アメリカのメジャーリーガー、またマイナーリーガーのように、自分からコーチに相談を持ちかけ、助言を求めるような文化があまりない。むしろ「こんなことを訊いたら怒られる」とか「馬鹿だと思われる」と萎縮する空気が、われわれの組織にはある。だからこそむかしから、報告・連絡・相談の大切さが「指導」されているのだ。

じゃあ、どうしたらいいのか。ハラスメントを回避したい上司はアドバイスができないし、部下のほうからも相談しづらい。


そこで最近「これかも」と思っているキーワードが「おせっかい」である。

指導ではなく、お説教でもなく、かぎりなく「おせっかい」に近い、アドバイス。上司やコーチ、先輩たちは、ちょっとした「おせっかい焼き」として振る舞うのだ。「おれが教えてやろう」と上から語るのではなく、「おれの場合はこうしてるんだけどね」とフラットな立場から語られるおせっかい。相手の迷惑にならない、ウザくならない、ギリギリの線にあるおせっかい。そういうおせっかいの循環が、日本の組織には大切じゃないんだろうか。


思えば、多くのビジネス書や自己啓発書は「アドバイスの本」である。ぼくはそこから少し外れた「おせっかいに満ちた本」を読みたいし、つくりたいのだと思う。