センスがいいってなんだろう。
センス、について考える。
「あの人、センスいいよね」「いいセンスしてるなー」みたいなことをぼくらは、毎日のように思ったり、言い合ったりしている。ファッションだけの話ではなく、聴いてる音楽のセンスがいいとか、好きな芸人さんのセンスがいいとか、飲食店選びのセンスみたいなものだって、きっとあるだろう。いずれにせよぼくらは、いろんな人のおこないや振る舞いについて、そこにセンスの善し悪しを感じている。
で、いかにも野暮ったい人よりも、いかにもセンスのよい人のほうが、いい仕事ができそうな気がする。スマートに、かっこよく、以心伝心のうちに、あらゆる物事がうまく運ぶ。そんな気がしてしまう。
けれど、その期待を持って仕事をしてみると、なかなかうまくいかないこともたまにある。おいおい、あんなにいいセンスしてるのにどうしたんだい、と首を傾げる。
暫定解として、こんなふうに考えることにした。
センスとはきっと、ふたつの種類がある。
ひとつは、「なにをカッコイイと思うか」だ。なにを美しいと思い、なにをおもしろいと思い、なににこころを揺さぶられ、自らもそうありたいと願うのか。その直感的な審美眼のことを、センスと呼ぶ。
もうひとつは、「どれだけ『カッコイイ』を知っているか」だ。世間では、なにがカッコイイとされているのか。なにがオシャレとされ、なにがクールだと言われ、なにが「いまっぽい」とされているのか。そんな知識の総量もまた、センスたりうる。
で、本来後者の「知識を積み上げていく式」のセンスには、膨大な時間とけっこうなお金、そして執念ともいえる根気が必要なものだったのだけれど、とくにソーシャルメディアの発展以降、それらの共通解が簡単に手に入るようになっている。なので「センスがいいっぽい人」がたくさん現れている。
そういうわけで、これからの時代に——というか、これからのぼくに——必要なのは、「センスを見極めるセンス」なのだろう。
それが審美眼なのか知識なのかは、まだわからない。