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それがわたしのほしいもの。

それ以外のことばが出てこない。

たとえば、ほんとにうまいものを食べたとき。ぼくは「うまい」「すごい」「おいしい」あたりのことばしか、口から出なくなる。それが飲食店である場合、まわりのテーブルではみんな近況を語り合ったり愚痴をこぼし合ったり愛を語らったりしているのに、ぼくのテーブルだけは「すごいね」「おいしいね」とひたすら料理を(原始的なことばで)語り合っている。みんなよくこんなにおいしい料理を食べて世間話なんかできるな、と感心する。

身体の不調時にも、「それ以外のことばが出てこない」はある。頭痛だとか腹痛だとか、あるいは骨折だとか打撲だとか。そういうときには普通、「痛い」以外のことばが出てこないものだ。猛烈な腹痛に襲われながら今朝見た朝ドラについて語り合える人は、いたとしても稀だろう。

ただし、めちゃくちゃおもしろい本を読んだときに「それ以外のことばが出てこない」になることは少ない。その本を(いま)読んだのは自分ひとりであり、その感動を(いま)誰かと共有することは原理的にできない。それゆえどんなにおもしろい本を読んだとしても、「おもしろい」のことばは外に発せられるより、心の内でわんわん反響させることのほうがぼくの場合は多い気がする。

もしかするとこの違いは「うまい」とか「痛い」に比べ、「おもしろい」がやや形而上学的というか、動物的本能に根ざした感情ではないから生まれるのかもしれない。

というのも締切に追われる現在、めちゃくちゃに眠たいのである。

眠たいときの人間は、まじで「眠たい」以外のことばが出てこないものだ。それ以外のことばを絞り出そうとしてもなかなか出てこないし、考えているうちに寝落ちしてしまう。

そういう動物的本能に真っ向勝負を挑んで現在、ぼくはここに「それ以外のことば」を書いている。まじ、少しでも気を抜くとキーボードは「ねむい」とタイピングしそうになり、そのまま動きを止めて寝落ちしそうだ。

それ以外のことばが出てこないほどの「それ」。自分は生きているんだなあと思わせてくれるのは案外「それ」なのかもしれない。