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過去を振り返ってもしょうがないのだ。

ことしの夏って、どんなだったんだっけ?

わずか数か月前のことなのに、もう忘れている。とても暑い夏だった気がするし、ガリガリ君を、例年以上に食べたおぼえがある。暑い暑いと、たぶんここにも書いている。けれどももう、うまく思い出すことができない。別にぼくの記憶力が減退しているわけではなく、おそらくほとんどの人が数か月前の夏を、うまく思い出すことがかなわない。

テキトーで、あてずっぽうな話であることを断ったうえで書く。

数か月前の夏をうまく思い出せないのは、過ぎたことを思い出しても、意味がないからだ。こころや頭脳の「記憶」は別として、身体のレベルでいえば数か月前の暑さを思い出したところで、なんら得るものがない。

それよりもいまは、やがてくる本格的な寒さへの備えに、全神経を注ぐ必要がある。だからこの時期、実際には暑くも寒くもない気温でありながらぼくらは、寒さのほうを感じやすい。つい寒い寒いと言ってしまう。ほんとうに「寒い」と思っているのではなく、本能的に「寒くなるぞ」と警戒しているのだ、これは。人間の身体はいつも、「ちょっと先の危機」に備えているのである。


きのう、鍋を食べた。この秋、二回目の鍋だ。「やっぱり鍋はいいなあ」とかなんとか思いながら、これから数か月間、何度となく食すであろう鍋のことを想像した。寄せ鍋、水炊き、しゃぶしゃぶ、もつ鍋、その他。「うまいに決まってるよなあ」なんてにやにや鍋のことを考えるぼくは現在、冷やし中華やそうめんを食べる自分が、うまく想像できない。「考えても意味ないだろ、どうせ食わねえんだし」。身体が、胃袋が、そう言っているのかもしれない。