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もう一度、またもう一度。

たとえばここに、ビートルズが好き、という男がいたとする。

好きなアルバムは『ラバーソウル』。初期も後期もいいんだけど、『ラバーソウル』あたりのビートルズがいちばん好きなんだよねえ、なんて話をしている。いや、これはほかのミュージシャンの、ほかのアルバムでもかまわない。ただのたとえ話である。

それでこの場合、ほぼ間違いなく彼は『ラバーソウル』を何回となく聴いているだろう。何十回、何百回である可能性も高い。


続いてここに、松田優作が好き、という男がいたとする。

好きな映画は『蘇る金狼』。そりゃあ『ブラックレイン』もかっこよかったけど、村川透と組んでたころの優作がいちばん好きなんだよねえ、なんて話をしている。もちろんこれも、ほかの俳優や監督、ほかの作品であってもかまわない。

で、この場合の彼も、おそらくは二度や三度、『蘇る金狼』を観ているだろう。音楽ほどくり返し聴く(観る)ものではないにせよ、複数回観ることは別に不思議ではない。ジブリ映画みたいに、テレビ放送のたびにまた観てしまう、みたいな例も多いはずだ。


あるいはここに、ドラゴンボールが好き、という男がいたとする。

好きなエピソードはフリーザ編。人造人間も魔人ブウもおもしろかったけど、いちばんやばかったのはフリーザだよねえ、なんて話をしている。もちろんこれも、ほかの漫画家やほかの作品であってかまわない。そして、もう何度もくり返す必要もなかろう。彼は何度となく『ドラゴンボール』を読みかえしているはずである。とくに触れたのが小中学生時であれば、ヒマさえあればもう一度、読んできたはずである。


一方、本の場合はどうだろうか。

「好きな本」や「おもしろかった本」として挙げる一冊を、その人は何回くらい読んでいるのだろうか。ぼく個人の話をするなら、たとえばジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』あたりは、大好きな本であり、これまで何人もの友人にすすめているのだけれども、読んだのは一度きりだ。

何人か、そして何作か、定期的に読み返す作者や本はあるものの、音楽や映画に較べてみると、そのリピート率は著しく低い。

そりゃあ、「あらすじ」を知っていたら初読のときほどたのしめないとか、「知ってる話」に何度も目からウロコは落ちないとか、いろんな意見はあるだろう。しかしながら、たとえば一度きりしか聴いたことのないアルバムについて、「知ってる」とか「わかってる」と語ることができないのと同じように、本だってほんとうは何度も読んでしかるべきであり、何度もたのしめるはずのものではないか。というかぼくなんか、読み返すたびに自分の忘却力にびっくりするぞ。


みたいなことを考えていくと、おもしろげな情報が詰まっているだけではない、「再読に耐えうる本」をつくることが自分のめざす道なんだよなあ、と思うのです。再読するたびに、違うことばが輝く本、というか。