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厚みについて考える。

前にも書いた話をする。

最近、あからさまに太ってきた。数か月前まで、これはTシャツのせいだと思っていた。体型をダイレクトにあらわしてしまうTシャツのせいで、いま自分はみずからの太りが気になっているのだ。秋になり、冬になれば体型は隠れ、また気にならなくなるのだ。そう考えることで、自分を納得させてきた。ところが季節が秋になり、ほどなく冬になってコートやジャケットを着込んでもなお、太った男がここにいる。ただの着ぶくれした中年が、所在なげに立ちつくしている。

若かったころの自分もそうなのだけど、痩せた人びとの多くは太りのことを「幅」の問題だと考えている。横幅の拡大が太りだと、考えている。しかし実際はぜんぜん違う。太りの本質は「厚み」である。横から見たとき、斜めから見たとき、はてには正面から見たときでさえ、厚みを感じる。それゆえ太った人は、言い知れない「圧」を感じさせるのだ。


……という話を入口に書きたかったのは「厚い本」のことである。

いま書いている本が、このままだととんでもない厚みになりそうだ。内容はともかくとして、物理的にものすごい大著になりそうだ。少なく見積もっても、500ページ。下手に転べば800ページ。そうなれば上製(ハードカバー)になるのだろうけれど、そんなにも厚くて重たい本、いったい誰が読むのだろうか。そもそもぼくは長いことスタジオにこもったミュージシャンが発表する「渾身の2枚組」みたいなアルバムが、あまり好きではないのだ。たとえば「ホワイトアルバム」も「メインストリートのならず者」も、1枚のアルバムだったらもっとよくなったんじゃないかと、よけいな可能性を考えてしまうファンなのだ。

すごい本ができつつあるのは間違いないんだけど、物理的すごさではなく、中身もしっかり「すごい本」にならなきゃ、意味がないんだよなあ。

いや、現段階ではそうなってると思いますけどね。