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ライターとライトの関係。

あれはいったい、なんと呼ばれる技術なのだろうか。

先日、仕事上の必要に駆られて、とある自動車のオフィシャルサイトを見ていた。車に興味のない方のために説明しておくと、自動車のサイトは主に、エクステリア(外観)、インテリア(内観)、安全性能、走行性能、価格シミュレーションなどのページによって構成されている。ぼくが見たかったのはその車のインテリア、つまり内観である。

すると、360°view、というのだろうか。マウスポインタをぐりぐりドラッグさせたらば車の室内がぜんぶ見えますよ、というグーグルマップ的なぐるり写真が出てきて、どうです。見たいところが好きなだけ、くまなく見えるでしょう、と胸を張っている。いや、別に胸を張ってやしないのだけど、自慢気にその機能が採用され、インテリアの紹介がそれだけで終わっている。

もしもぼくが驚異的な視野角を誇るトンボだったらば、360°viewのぐるぐるを「わーい。ぜんぶ見えるぅー」とよろこんだだろう。けれども当方は人間であり、エクソシストの女の子でもないのであって、首をぐるぐる回転させる習慣などない。ぼくが見たいのは「いい感じの角度から撮られた複数枚の写真」なのだ。


という話を思い出したのは、ほかでもない。

きょう、ほぼ日の方々とお昼ごはんに札幌ラーメンを食べた。たのしいおしゃべりはやがて、コンテンツづくりのありかたへと移っていった。ぼくは、こんな話をした。うまくしゃべることができなかったので、備忘のメモとしてここに書いておこう。


本をつくるとき、そのためのインタビューをするとき、ぼくは聞き手であることよりも「照明係」であることを意識している。その人がいちばんかっこよく映る角度から照明を当て、まだ誰からも撮られていない角度から構図を考え、その人のいちばんいい表情を撮影すべく、ばしゃばしゃとシャッターを切る。撮り終えた何百・何千の写真をどう並べ、どう編集していくかは、書くときにひとりのライターとして考えればいい。ライターである前に考えているのは、照明係としての自分なのだ。

これをぼくは「Lighting から Writing へ」ということばで説明している。

いい照明(Lighting)があるからこそ、いい執筆(Writing)につながるのだと。ぼくにとって、企画やインタビューの入口にあるのはいつも Lightingだ。そして Lightingとは、観察と仮説によってつくられるものだ。


ああ、このへんをしっかりまとめた本、いつか書きたいなあ。