見出し画像

たどり着いた普通。

どうしてもクリックしてしまう種類の記事がある。

犬記事だ。ニュースサイトにあふれる犬関連の記事だ。しかも「かわいいワンちゃんご紹介」みたいなほのぼの記事ではなく、「犬のブラッシングでやってはいけないNG行為3選」とか「犬に食べさせてはいけない野菜4選」みたいなタイプの記事である。

犬のことは本来、犬に訊かなければわからない。けれども犬は人間の言葉をしゃべってくれず、人間もまた犬の言葉を理解することができない。それゆえ自分がよかれと思ってやっていることが、ときに犬には大迷惑な行為だったり、犬の命を危険にさらす行為である可能性は否定できない。とても心配である。

たとえばぼくが子どものころに実家で飼われていた雑種犬は、鶏の骨も食べていたし、ごはんに味噌汁をかけた食事も摂っていた。食卓で出た魚の骨はすべて「ごちそう」として翌日、犬に与えられていた。ことばを選ばずに言えば残飯処理係のようなものだった。いま、そういう飼い方をされている犬は、ずいぶん減っているのではないかと思う。

そして当時飼っていた雑種犬は、当然のように外につながれていた。軒先に置かれたプラスチック製の犬小屋が彼の寝床だった。雨の日はもちろんのこと、台風の日も、大雪の日も、彼はそこにいた。冬になると犬小屋に毛布を入れてあげたりしたけれど、それでどれだけ暖をとれていたかはわからない。

いま、暖房のきいた家のなかでぬくぬくと横たわる犬を見ると、「おまえはしあわせだなあ」と思う。同時にまた、「あいつには悪いことをしたなあ」と雑種犬を思い出す。寒かったよなあ、暑かったよなあ、ひとりでさみしかったよなあ、と。


「常識のアップデート」みたいな議論になるとき、ぼくはいつも犬のことを考える。自宅のソファに横たわる犬が「ぜいたく」なのではなく、また甘やかされているのでもなく、いまのこれが「普通」なのだ。この普通を手に入れるため、これまでの時間があったのだ。常識のアップデート云々も、別に革命を起こしてやろうみたいな話ではなくって、「たどり着いた普通」ってことだよね?

犬に置き換えればわかること、たくさんあるんだよなー。