好きを仕事にする、について。
好きを仕事にする、とはなかなかたいへんなものだ。
たとえば、ぼくがメガネ屋だったとき。就職のきっかけは、「この人見知りをどうにかするには、接客業をやったほうがいいだろう」「接客業のなかでいちばんラク(ひま)なのはメガネ屋だろう」くらいのものでしかなく、当時は視力も2・0で、メガネと無縁の生活を送っていたのだけど、それでもまじめに仕事をしていると、おもしろいと思える瞬間は何度もあった。
メガネという道具のことを知り、メガネと一緒に生きているひとたちのことを知り、検眼やレンズ加工などの技術をおぼえ、接客の流れも板につきはじめると、「おれ、もしかしたらメガネが好きかも」と思えてくる。「みんなあんまり知らないけど、メガネって意外とおもしろいんだよ」と言いたくなる。なんならいっそ、この仕事を一生続けるのもありじゃないか、それだってしあわせな人生じゃないかと思えてくる。メガネまわりに情がうつり、好きだと思い込んでいく。
けれどもどこかで気づくのだ。
「ああ。ほんとはおれ、この仕事あんまり好きじゃないのかも」と。
仕事にかぎらず、「好き」になるものは、なんだってそうかもしれない。趣味もそうだし、恋愛だってそう。好きだと思い込んだまま生きていくのか、それとも「思い込んでた自分」に気づいて路頭に迷うのか。思い込んだまま生きていけたら、それはそういう事実になるし、美談にもなる。「ほんとは、あんまり好きじゃない」と気づいてしまったら、節操のないひとと思われるかもしれないし、ほんとの「好き」を求めて行くあてのない旅がはじまる。
ええっと、なにが書きたかったんだっけ。
「好き」は、「得意」と相性がいい。
⇒それが「苦手」でも「好き」なのか?
「好き」は、「らく」と相性がいい。
⇒それが「きつい」でも「好き」なのか?
「好き」は、「儲け」と相性がいい。
⇒それが「儲からない」でも「好き」なのか?
「好き」は、「慣れ」と相性がいい。
⇒それが「不慣れ」でも「好き」なのか?
つまり「好き」は、「惰性」と相性がいい。
仕事が好きとか、書くことが好きとか、無意識のうちに思っちゃってる自分がいるんだけど、ときどきこうやって「ほんとに好き?」を自問することも大切だよなー、と思うのでした。
とくに「いやー、おれってこの仕事、大好きだなー」と思ってるときは、なおさらに。いまさら「ほんとは好きじゃなかった」ことに気づいちゃっても困るけど、気づかないままでいるよりは、すこしだけましな気がするんですよね。