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赤ちゃんと犬。

ホースラディッシュ、という食べものがある。

ステーキやローストビーフの薬味として重宝され、むかしのレシピ本などでは「西洋わさび」と表記されることも多かった植物である。しかし実際の味からすると、わさびというよりむしろ(ラディッシュの名のとおり)大根に近く、たとえば寿司にホースラディッシュを代用することはできない。それではなぜ「西洋わさび」の日本名がついたかというと、すりおろして使用する辛味をもった薬味、という点において「西洋辛味大根」などの名を冠するより、「西洋わさび」としたほうがわかりよいからなのだろう。

このように人には、「身近なものに置き換えねば、理解の手がかりを得られない」という心性が多分にある。


この数年、赤ちゃん育てに奮闘する方々の話を聞きながら「ああ、ちょっとわかるかも」と思う自分がいる。

赤ちゃんのかわいさ、おもしろさ、たいへんさ、気がかりさ、いろんなものを、犬に置き換えて理解しているからである。

もちろん、人間の赤ちゃんを犬に置き換えて語ることは、失礼にあたるだろう。わが子の話をされている方に対して「ああ、うちの犬と一緒ですね」と言ったら、そりゃ怒られるだろうとはわかっている。しかしながら赤ちゃん話を聞くときのぼくはいま、ずっと頭の片隅で犬のことを考え、おかげでむかしの何倍何十倍も、赤ちゃん話を聞くことがたのしくなっている。そして帰宅後、わんぱくのかぎりを尽くしている犬に向かって言うのだ。「ほんっと、お前は赤ちゃんだな」と。


現在2歳半のうちの犬は、一向に落ち着く様子を見せない。

かつて同じ犬種を飼われていた方に伺ったところ、およそビーグルという犬は12〜13歳まで落ち着くことのないまま老年を迎えるのだという。言ってしまえば3歳児がいきなりおじいちゃんになるような犬生をおくるのだろう。

落ち着きをもった犬へのあこがれはあるけれど。

こいつにはいつまでも3歳児でいてほしいなあ、と思うのである。