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その歯を磨いたとき、われわれは。

午前中、歯医者さんに行った。

年4回の定期検診とクリーニング。若干の着色(おそらくコーヒー)を指摘されたものの、虫歯もなく、歯ぐきもおおむね健康とのことだった。虫歯の治療で歯医者さんに通っている期間、ぼくは少し弱い。ごはんを食べるたびに——たとえば治療中の歯と反対側の奥歯でものを噛むなどして——自分が治療中であることを思い知り、こころが少し弱る。風邪で高熱を出しているときのように常時自覚症状があるタイプの不調と違い、日々の折々に「あ、そういえば」と思い知らされる類いの不調には、つねにブレーキを意識しながらアクセルを踏んでいるような気持ちの悪さが、どうもある。

子どものころ、子ども向けの雑学本で、むかしの人は竹で歯みがきをしていた、という話を読んだ。お箸くらいのサイズに竹を切り、そのわしゃわしゃの繊維を利用して先端部分をブラシ状にほぐし、ごしごし歯を磨いていた。歯みがき粉の代わりに塩を使って。そんな話を読んだおぼえがある。

嘘に決まってんじゃん、とぼくは思った。当時、実家で飼っていた雑種犬は歯を磨いたことなどなかった。飼ったことはないけれど、たぶん猿だって歯を磨かない。つまり、自然に生きる者どもは歯を磨かず、磨かなくていいようにできている。むかしの人だってきっと同じで、犬や猿がそうであるように歯を磨いたことなどなく、その必要もなかった。こいつは、この本は、この本の作者は、子どもであるおれをだまし、子どもであるおれに歯みがきの大切さを訴えようと、こんなつくり話をしているのだ。だまされてやるものか、このやろう。なんてことを思っていた。

しかしその後、学習や興味関心の範囲が広がってくると、風向が悪くなる。何千年も前に埋葬された人の骨に虫歯を抜いた痕があるだの、虫歯を抜かれる男の絵画だのを知らされることになる。人間には歯みがきが必要であり、むかしから人は歯を磨いてきたのだと認めざるを得なくなる。

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そうなると今度は、「犬や猿は大丈夫なのに、どうして人間だけが歯みがきしなきゃいけないのか?」という問いが生まれてくる。下手をすると「歯みがきこそが人間の証である」とか、「その歯を磨いたとき、サルはヒトになったのだ」とか、わけのわからないことまで考えはじめてしまう。


ところが現在、犬に関する本を買うとかならず「わんちゃんにも歯みがきは必要です」と書いてある。歯みがきしてやるとたしかに汚れがとれる。歯みがきをサボると歯石がたまる(検索すると、そういう写真がたくさん出てくる)。なので仕方がない。犬の歯を磨く。

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歯を磨くたびに犬は、ヒトに近づいているような気がする。


(picture by Jan Steen, Theodoor Rombouts