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なんでもできたはずの時間。

もうすぐ、1年になるのか。

書くことが思いつかず、「去年のいまごろはなにをしていたんだっけ?」と昨年5月の note をあさっていたら、この投稿に突きあたった。幡野広志さんの『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』の刊行から、もうすぐ1年が経つ。個人的にも大好きな本だ。

その後、幡野さんは『なんで僕に聞くんだろう。』という本を刊行し、その連載はきょうも続いている(きょう更新のぶんは、まだ読んでいない)。


幡野さんと糸井さんが最初に対談したとき、おふたりは、こんなふうに語り合っていた。もしかしたらぼくがいちばん、この対談のなかで驚いたやりとりだったかもしれない。

糸井
そうやって考えるとさ、
人間の一生って、ほんとうにすごいですよね。
これから、なんでもできますね。

幡野
はい、ぼくも思います。
ほんとうに、なんでもできますね。

糸井
それをみんな、
しないように、しないようにと、
じぶんでやっちゃっているんだよね。
そうだなぁ、そのことはみんなに伝えたいなあ。

ほぼ日刊イトイ新聞 これからのぼくに、できること。第6回 より

2年前の夏に収録された対談なのだけど、その後の幡野さんを見ていると、ほんとうに「なんでもできる」だよなあ、と気づかされる。これはへんなポジティブシンキングの話ではなく、気合いや根性の話でもなく、平熱の事実として「なんでもできる」のだ、ぼくらは。


ずいぶんあとになって2020年の4月や5月を振り返ったとき、「思えばあの2か月って、あれもできたし、これもできたよなあ」をたくさん思いつくのだと思う。いまのぼくは、ひとり粛々と原稿を進めているけれど、あとになって「なんでもできたはずの2か月」を悔やまないようにしないとな。