見出し画像

信号待ちの、その先に。

8人ほどのぼくたちを待たせていた昼どきの横断歩道が、青に変わった。

薄皮ほどのストレスから解放され、めいめいの歩幅で歩き出す人びと。ふとそこに、ひとひらのアゲハチョウが人の波をかき分けるようにそよそよと、泳いでいた。飛んでいるのでもなく、羽ばたいているのでもなく、泳いでいるというのがぴったりの、そよそよだった。

あのアゲハチョウも、信号待ちしていたのかな。いや、そんなはずはない。この令和の大都会に、そんなメルヘンは存在しない。おそらくきっとたぶん、だれかの肩やかばんで羽を休めていたのだろう。そしてだれかが歩き出したおかげで自分も、羽ばたいたのだろう。そうに決まっている。泳ぐアゲハチョウを目で追いながら、頭を落ちつける。


カラスだったらどうだろう。ぼくは考えた。

あのアゲハチョウは、なんだかとても好感の持てるチョウだった。ことによると、これまで人生で見てきたなかで、いちばん「いいな」と思えたチョウだった。ただ一緒に横断歩道を渡ったというだけなのに、やたらといいやつに思えてしまった。つまり、そこに人格を見てしまった。ならば。

たとえばカラスが信号待ちをして、青信号とともに飛んでいったり、よちよち歩いたりしたら、どうだろう。街の嫌われ者として悪名を馳せ、ホラー映画の題材にもしばしば採り上げられ、ぼく自身も最近唐突なる糞害を受けたカラス。あいつも先ほどのアゲハチョウみたいな振る舞いを見せたら、ぼくは好感を抱くのだろうか。

かわいくてたまらないだろうな、と思った。「かしこいねえ」「いいこだねえ」とでれでれしそうな自分がさっそく目に浮かぶ。おおお、すごいぞこれは。

ブタ、牛、トラ、キツネ。サル、モグラ、ひつじ、オオサンショウウオに、アルマジロ。どんな動物を当てはめて考えてみても、信号待ちをしている姿はかわいいし、青信号で歩き出す姿はもっとかわいい。仕込まれた芸を披露するなんかより、ずっとずっとかわいい。

同じルールを共有していることが大事なのかしら。それとも「待つ」という姿勢が、かわいいのかしら。だとしたらなぜ、信号待ちをしている人間たちはさほどかわいくないのかしら。考えているうちに目的地、フィットネスジムに到着した。