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種を蒔くこと、その肝要。

やるべきことがあるのは、いいことだ。

あと2週間で、新刊『取材・執筆・推敲』が発売になる。今週の金曜日には刷り見本が上がってくる。本づくりという意味からするともう、やれることは残っていない。ひとりでも多くの方々に手に取ってもらえるよう、プロモーションに尽力するくらいだ。とはいえ、いわゆるインフルエンサーの定義に当てはまらないぼくが「ひとり」でできることは少なく、要するにあまりやることがないのが、この時期のいつもの姿だ(なのでこの時期、旅行に行ったりすることも多い)。

けれどもいまは、夏の開校をめざしている「ライターの学校」プロジェクトがあり、休む間もなくその準備に追われている。この、「休む間もなく」は意外と大事なところで、たとえばいま、やることがなくてのんびりしてたらぼくは、バックミラーを覗き見るだろう。過去を振り返り、振り返ったら当然「ああすればよかった」「こうすればよかった」とくよくよするだろう。前進しながら覗き見るバックミラーは反省や教訓、自戒になりえるけれど、立ち止まったままに覗き見たバックミラーは、くよくよや後悔しか生まず、あまりいい結果につながらない。次の目的地に向かって、走っていることが大切なのだ。高速道路のサービスエリアならともかく、一般道の路肩におのれという車をぼんやり停めていては、やはりダメなのだ。

幸いなことに、3年がかりでつくった新刊『取材・執筆・推敲』と、これからやる「ライターの学校」は、地続きになっている。「すげえものを書き上げたぞ」という勢いをそのままに、いま走り出している。そして「ライターの学校」をやり終えたときにはまた、「次」が見えている自分にしたい。

種や苗は、うしろに蒔くものではなく、何百キロも前方に、蒔いていくものなのだ。待ってろよ、ちゃんと刈りとるからな、と。