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発明のお手本として。

あれは何年前の出来事だったか。

レディ・ガガさんが来日したときのこと。移動のために新幹線を使ったガガさんが、品川駅に入った立ち食い蕎麦屋でわさびたっぷりの蕎麦を食した、というニュースが話題になっていた。たぶんご本人がツイッターかインスタグラムに投稿していたのだと思う。当然ながら日本人は「ガガ様www」的な反応をする。「もっといいもん食えよ」とか「立ち食い蕎麦にガガ様いたらマジ笑う」とか、そういう意味での「www」だ。

せっかく来日してくれたからには、日本や日本人に対してなるべくいい印象を持ち帰ってもらいたい。おそらくこれは、大多数の日本人が抱くであろう外国人観光客への感情だ。ぼくもそう思うし、それだからこそガガ様のニュースに触れたときには「そうじゃないんだよ。もっとおいしい蕎麦屋はあるんだよ。それ(駅の立ち食い)で判断しないでよ」と思った。

しかしながら自分が観光客として外国を訪れた際には、観光客向けにつくられた「よそ行き」の料理よりもしろ、地元住民の生活に溶け込んだきわめて雑な地元メシを食べたいと思う自分がいる。いいかげんな屋台とか、小汚いキッチンカーとか、それこそ駅や空港に入った現地料理屋とかを。そこにはうまい料理を食べたいというより、その国固有のカルチャーを味わいたいという欲求があり、ガガ様もきっと「日本人のソウルフード」としてわざわざ立ち食い蕎麦を食べたのだろうし、蕎麦そのものよりも「ここでしか体験できないカルチャー」を味わったのだろう。


という話をしたのも、カップヌードルである。

日清のカップヌードルは、コンソメ醤油とでも言うべきオリジナル、それからカレー、さらにはシーフードの3つを軸にラインナップされている。おもしろいのはこの3つがすべて「洋風」であり、一般的なラーメンを模倣した味ではないところだ。

もちろんコンビニの棚には醤油味のカップラーメンも、とんこつ味のカップラーメンも、味噌味のカップラーメンもある。どこそこの店主が監修したという「本物そっくり」なやつもある。しかしながら、そっくりさんは永遠にそっくりさんのままで、麺やスープが本格的になるほど「本物との違い」が如実になり、おれはニセモノを食ってるんだよなあ、の気持ちが湧き上がってくる。

一方でカップヌードルの場合、きわめてジャンクな味なれど、いずれもオリジナルの味わいであり、ニセモノを食ってる感がしない。なにかの代用品ではなく、まっすぐにカップヌードル(としか名づけようのない食べもの)を食ってる実感がある。それは立ち食い蕎麦がもはや「立ち食い蕎麦」というジャンルの料理である事実と、とてもよく似ている気がするのだ。

そもそも「ヌードル」だもんね、カップヌードルは。名づけの時点でもう、お店のラーメンを目指していないのだ。オリジナルになる気が満々なのだ。

もちろん世界初のカップ麺だから、その製法を確立するまでには大変な苦労があったと思うんだけど、(ラーメンではない)あの味をめざした判断と、あの商品名を選んだ勇気にこそ拍手を贈りたいんですよね。その、発明のお手本として。