デザイナーの取材、ライターの取材。
自分の小説のあとがきとして、自前の解説文を書く作家がいる。
わたしはこうした理由をもって、この小説を着想した。本作のテーマは○○である。そのためにこんな分野の方々に取材して、こんな種類の資料をたくさん読んで、これだけの苦労を重ねながら、本作を書き上げた。さあ読者諸君よ、この○○を描いたわたしの力作を十分堪能してほしい。
そういうことをぺらぺら書いちゃう作家が、いる。たとえ作品そのものが大好きであっても、手前で手前の解説文を書くという無粋で傲慢な態度が、どうも好きになれなかった。「この作品は、こんなふうにいいんだぞ」と言葉を補わないといけない作品は、本質的にダメなんじゃないかと思っていたし、いまも変わらずそう思っている。
ほぼ日のあたらしいロゴができあがり、そのロゴについてデザイナーの佐藤卓さんと糸井重里さんが語り合う、というコンテンツがスタートしたとき、一瞬だけ不安に思った。
「わたしたちのロゴは、ここのところが、こんなふうにいいんです」と言葉によってその「よさ」を補おうとするコンテンツだったらどうしよう、と思ったのだ。
けれどもそれは、とんだ杞憂だった。むしろこれは「あたらしいロゴ」という文鎮を机に置いて、デザインとはなにか、デザイナーはなにを見ているのか、コミュニケーションとはなにか、人はなぜ「しるし」を求めるのか、などを語り合っていくコンテンツだった。
そして、じぶんの会社のロゴを MUZIKA design studio の戸取瑞樹さんにつくっていただいたときのことを思い出した。
最初の打ち合わせで戸取さんは「どんな感じのロゴがいいのか?」ではなく、ぼくの生い立ちをインタビューするところから、その仕事をはじめていった。コーポレートカラーも、オリジナルの書体も、ぜんぶインタビューをベースにつくられていった。
ほどなくして、いくつかのロゴを提案されたとき、まるで占い師から「あなたの考えは、こうですよね?」と言い当てられたような気分だった。
デザインの仕事とライターの仕事は、たぶんとっても似ているんだと思う。
ほぼ日のあたらしいロゴ、ぼくはとっても好きです。
一見すると、ほがらかで。よくよく見ると、端正で。