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あの子らは、元気に暮らしているだろうか。

「こら」ということばが好きだ。

コラージュのコラではなく、叱責の「コラッ!」でもなく、炭酸飲料のコーラではもちろんなく、子どもの複数形としての「子ら」。しみじみとした情感が、このことばには漂う。

たとえば、「あの子は元気に暮らしているだろうか」という一文。ここにも一定の哀愁はあるのだけれど、複数形で「あの子らは元気に暮らしているだろうか」とすると、なんだかそれだけで涙がにじむ。夕暮れのなか、ちいさな手を取り合って立ちつくす、兄弟姉妹の姿がぼんやり浮かぶ。ああ、あの子らは元気に暮らしているだろうか。

これが「あの子たちは」であったなら、哀愁成分は一気に薄まる。ドタバタとうるさく走りまわる悪ガキたちの姿さえ、浮かんでくる。同じ複数形でもやはり「あの子らは」がいいのだ。


もう10年くらい前なのかな。当時使っていた個人事務所の前が、駐車場になっていたんですよ。それであるときから、そこに停めてある普通車に、どこかの母と子どもたちの3人が寝泊まりするようになったんです。夕方くらいにやってきて、ひそひそしゃべったり、きゃっきゃと騒いだり、わんわん泣いたり、朝までずっと。ちょっとした家出だったのか、別居や離婚の準備期間だったのか、DV夫からの避難だったのか、くわしい事情はわかりません。でも、たしか一週間くらいでその姿も消え、いつもの駐車場に戻りました。

なんかね、あのときのことを急に思い出して「あの子らは元気に暮らしているだろうか」と思ったんですよ。それでまた、かく言うぼく自身も、近くや遠くの大人たちから「あの子らは元気に暮らしているだろうか」と思い出されるような「子ら」だったんだよなあ、と思ったり。


元気に暮らしていますよ、ぼくは。