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くり返される「二度とできない」。

ひさしぶりに『嫌われる勇気』の話を書きます。

明日でちょうど『嫌われる勇気』の刊行から丸4年になるんですね。そして今年も年間ランキングでビジネス書部門の2位に入り(日販・トーハン調べ)、4年連続のベスト3入りとなってこれは史上初のことなのだそうです。また、来年の1月には英国・英連邦版の発売も決定し、ようやく手元に見本が届きました(日本版のAmazonページはこちら)。

これまでは韓国・中国・台湾をはじめとした東アジア圏での広がりが中心でしたが、いまようやく欧米圏に広がりを見せてきました。この英国・英連邦版を皮切りに、今後もいろんなタイミングで他の国々での広がりをご報告できるものと思います。


正直言うと少し前まで、『嫌われる勇気』という本について考えたり語ったりすることを、どこか避けたがる自分がいました。もう過去のことなんだし、おれはこれからもっとおもしろい本をつくるはずだし、つくんなきゃいけないのだし、何年も前の杵柄(きねづか)でふんぞり返るなんてみっともない真似はぜったいにしたくないし、そしてやっぱり読み返すと、技術的に稚拙だなあ、と書きなおしたくなるところも多々見つかるし。はやく「嫌われる勇気の古賀さん」から脱しないと、とんでもない底なし沼に落ちちゃうぞという強迫観念がずっとありました。


それが最近、ようやく素直に向き合えるようになってきた気がします。

たとえばこの本について、あと何回も改稿して表現を研ぎ澄ませていくこと。それはぜんぜんできると思います。機会と必要さえあれば、やってみたい気もします。でも、これをゼロからもう一度書けと言われたら、ぜったいに無理なんですよね。どう考えたって、書けない。ちょっと前まではそれを、「あそこが自分のピークだったのか」と恐れおののいていました。

ところが先日、去年に構成を担当した『ミライの授業』(瀧本哲史著)という本を読み返したんです。増刷がかかったので、念のため修正箇所の確認に。するとまあ、あらためて他人事のようにいい本だとおどろいたんですよ、これ。表現・技術の面で「もっともっと」の向上を図ることはできるかもしれないけれど、ゼロからもう一度となると、とてもこのかたちに仕上がる自信はない。二度とできない。なんと同じだったんです、そこは『嫌われる勇気』と。

で、思いました。

この「二度とできない」は過去の自分に負けてるとか、いまの自分がよろしくないとかの話ではなく、やるべきタイミングでやるべきことをやりきった、幸福な仕事だったんだなあ、と。そして自分がいまやっている仕事も、きっと数年後の自分が振り返ったら「もうあんなことはできない」と思うようなタイプの仕事なんだろうなあ、と。毎回それをやれてたら、もうそんな最高なことはないよなあ、と。

若いころの、走れば毎回自己ベスト更新、みたいな伸びて伸びてしょうがない時期は抜群にたのしかったんですけど、そういうトラック競技とは少し違う、野球やサッカーの試合みたいにいま、仕事しているような気がします。