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わたしが駄洒落を言うときは。

思えば自分には、いくつかの駄洒落リストがある。

たとえば寒風吹きすさぶ冬の日につぶやく、「寒みぃ〜・デービス・ジュニア」のひと言。ロック音楽が好きな同世代の多くがそうであるように、中学・高校時代まではぼくも「寒みぃ〜・ヘイガー」を使っていたのだけど、「〜デービス・ジュニア」のほうがお洒落である気がして現在は、積極的にこちらを使っている。


あるいは、眠気を我慢して原稿に向かっているときは、

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ねむた祭り



と言ってしまうこともあるし、睡魔が襲ってくるさまを、

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睡魔ーが襲ってきた



と言ったり書いたりすることもある。そして睡魔に勝てず、仮眠をとるときには「すぐに起きるからね」の意を含んだ、

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仮眠ぐすーん



の駄洒落もしばしば使う。で、こんな話をしているのは当然現在くらくらするほどの眠気に襲われているからなのだけど、話はそれだけじゃないのだ。

上の例からもわかるように、普段の生活においてほとんど駄洒落を使わないぼくが駄洒落を口走るのは、決まって「調子が悪いとき」なのだ。疲れていたり、凍えていたり、へろへろになっているとき。おのれを励ますようにぼくは、愚にもつかない駄洒落を口走る。誰に聴かせるわけでもなく、ひとりの部屋でそれをつぶやく。なんだか困難な状況にある自分を笑い、笑うことで肯定する。

これは犬と暮らすようになってから知ったことなのだけど、濡れたわけでもない犬が身体をブルブルブルッと振るわせる、犬好きたちのあいだで「犬ドリル」と呼ばれるモーション。

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あれってじつは、不安や興奮、ストレスを吹き飛ばすためのモーションであり、決して遊びでも痒みでもないシグナルなのだそうだ。

もしかしたらぼくにとっての駄洒落も、そういう類いのシグナルなのかもしれない。


まあ、とりあえずぼくの駄洒落を耳にしたら、そして中高年男性たちの意外な駄洒落を耳にしたら、ただ「疲れてるんだな」と思ってやってください。