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応援のできる人に。

フェイスブックで「6年前の投稿」として、こんな画像が流れてきた。

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そうだった、そうだった。『嫌われる勇気』の発売は6年前のいまごろ。はじめて出稿していただいた新聞広告がうれしく、フェイスブックにその画像を貼りつけていたのだった。ここに踊る「人生を一変させる新しい古典」のフレーズは、編集の柿内芳文氏と一緒に考えたのだった。さすがにもう、記憶のかなたと言ってもいいくらい、むかしのことに感じる。

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あのころは続編(幸せになる勇気)を書くなんて考えてもいなかったし、自分が会社をつくることだって考えていなかった。口では「ミリオンセラー」のことばを発していたけれど、それもどこまで確信があったのか、いまにして思えばかなりあやしい。少なくとも周囲の人たちはみな、小馬鹿にしていた。小馬鹿にされた居酒屋の出口、その階段の映像までありありと、ぼくは憶えている。


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(2013年正月のツイート)


で、6年前の出来事を振り返って思ったのは、身近な誰かの大言壮語を応援できる人間でありたい、ということだ。大口をたたく人を見て、せせら笑うことは簡単だ。せせら笑ったほうがかしこく見えるし、安心もできる。それでも多くの場合、おおきなことを言う人には「そうせざるをえないなにか」があるのだ。不安だったり、迷いだったり、焦りだったり、いろんなものがあって大口をたたいているのだ。おれは信じるよ、応援するよ、のことばが聞きたくて。

自分自身のことを振り返ってみても、できあがった原稿について「いい!」と言われるよりも、できあがってもいない原稿について「信じてるよ!」を伝えてくれることのほうが、ずっとうれしかったりする。


もう来年のことを考えざるをえない時期になっちゃったけれど、来年はもうちょっと応援できる人になりたいなあ。応援できることって、こころが健康な証拠でもあるしね。