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これは、歌です。

子どものころ、海外の歌が好きだった。

海外の歌といっても、いわゆる洋楽のことではない。「おおブレネリ」とか「チキチキバンバン」とか「アルプス一万尺」とか「ロンドン橋」とか「森のくまさん」とか、そういう邦訳された童謡・民謡のたぐいだ。これらの歌は、いずれも垢抜けたものとして響いた。歌詞のなかに登場する海外の景色や固有名詞にもワクワクするのだが、なにより歌っていてたのしかった。笑顔で踊りたくなるようななにかが、そこにはあった。

一方、日本の童謡・民謡に「たのしさ」はなかった。子どもながらにいい歌だとは思いながらも、どこかさみしさを、大人のことばでいえば郷愁を誘うものが多かった気がする。これは歌詞だけではなく、メロディ自体も。

いったいなにが違うんだろう。この違いはたぶん、洋楽と演歌、またロックと歌謡曲の違いにもつながっている気がする。そんなふうに考えていたあるとき、ふと思いついた。

長音である。

たとえば「おおブレネリ」の歌詞を、実際に歌っているように書き起こすとたぶん、次のようになる。

おっブレーネリ、あっなーたの、おっうちはどっこ〜♪
わったーしの、おっうーちは、スッイーツランドよ〜♪
きっれーいな、こっすーいの、ほっとーりなのよ〜♪

一方これが日本の「海」だと、こんな感じになる。

うーみーはー ひろいーなー おーきーいなー♪
つーきーがー のぼるーしー ひがしーずーむー♪

「ふるさと」だったら、こうだ。

うーさーぎー おーいしー かーのーやーまー♪
こーぶーなー つーりしー かーのーかーわー♪

ほとんど一文字ごとに長音が入り、促音も入ってこない。それに比べて海外の歌は長音が少なく、促音もバンバン入る。リズムと言ってしまえばそれまでの話なのだけれども、まっとうな音楽的素養を持たない自分のような人間からすると、「書き起こした際の長音の数」と考えたほうがしっくりくる。

そしてたぶん子ども時代の自分にとっては、長音だらけの歌がじれったく感じられ、ことば(音)の詰め込まれた海外の歌が陽気で、たのしく、垢抜けたものに感じられたのだろう。

さて。

そんな日本語だからこそ、昭和の時代には「日本語ロック論争」みたいな話もあったりして、ロックのリズムとメロディに日本語は乗せられないと主張する人は多かった。歌詞のなかに英単語が頻出することも多かったし、それこそがロックの証みたいな雰囲気もあった。

このへんのロックと日本語の融合、つまりは日本語詞の譜割について、独自のアプローチで試行錯誤と発明をくり返していった代表格が、桑田佳祐さんであり佐野元春さんなのだと思う。

そのふたりがこんなふうに同志として、のびのびコラボレーションしている姿は、見ていて単純にうれしい。邦楽だとか洋楽だとか、ロックだとか歌謡曲だとか、そんな境界線はどーでもよくて「歌」なんだよね、ほんとはみんな。この曲については発表以降、どう評価したらいいかずっと迷っていたんだけど、ようやく思い至った。「これは、歌です」がぼくのいちばん間違いのない答えだ。