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醤油ラーメン、こんにちは。

所用のため、実家に戻っていた。

福岡で生まれ育ったぼくには、かなりの福岡的な価値観が根づいている。わかりやすいところで言えば食べものだ。ラーメンはとんこつに限ると思って生きていたし、関東風のうどんつゆにはなかなか馴染めなかった。刺身は濃厚な「刺身醤油」で食べるのが当たり前であり、焼き鳥とは豚バラと鶏皮を食べるものだと思っていた。

そうして23歳のときに上京するのだが、どうしても「ラーメンはとんこつに限る」的な自分を拭えずにいた。こんな醤油くさいうどんが食えるものか。なんだこのまずい魚は。味噌汁まで扁平で塩辛いだけじゃないか。差し出されるさまざまにイチャモンをつけ、「やっぱり福岡がいい」と思う自分がいた。

いま振り返れば、よくわかる。あのころぼくには友だちがいなかったのだ。大人になってから東京に、仕事のために上京したぼくには、正真正銘ひとりの友だちもいなかった。知り合いさえいなかった。唯一「社会」との接点だった会社も上京から半年ほどで辞め、孤立無援の状態で豊島区千川のワンルームに住んでいた。

一緒に食べる友だちがいたならば、一緒にあそぶ友だちがいたならば、ぼくはきっと「ラーメンはとんこつに限る」なんて頑固は言わなかっただろう。「醤油もいいね」「味噌もおいしいね」と思えていただろう。要するに自分の不遇やさみしさを「東京」にぶつけ、かつてのたのしかった「福岡」を振り返っていただけなのだ。

それからもうひとつ。本日の本題はここからである。


若い時分のぼくには、「も」の発想がなかった。

ラーメンならラーメンという食べものを前にしたとき、常に「とんこつ or 醤油」の二者択一しかないと考えていた。醤油ラーメンにおいしいの旗をあげることは、とんこつラーメンの旗をおろすことだと考えていた。

しかしあるとき、「醤油ラーメン好き」という選択があり得ることを知った。犬が好き。猫も好き。サッカーが好き。野球も好き。映画が好き。読書も好き。ごぼう天うどんが好き。かき揚げそばも好き。とんこつラーメンが好き。醤油ラーメンも好き。福岡が好き。東京も好き。

人生に「も」が加わったことで、ぼくはずいぶんと自由になった気がする。「Aが好き」のあとに「Bも好き」を言えない人生、「も」を考えることをみずからに禁じた人生は、あまりにも堅苦しく、生きづらいものだと思うのだ。

たとえ一貫性がなかったとしても、前言撤回や朝令暮改に映ったとしても、ぼくは「Bも好き」を言える人でありたいし、好きなBを探し続ける(その出会いに心を開き続ける)自分でありたいなあ、と思う。大好きなAはAとして心の中心に置きながら。