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またいつかの「ひさしぶり」を求めて。

「ひさしぶり」について考えた。

誰かと会う。会って最初に「ひさしぶりー!」と声をかける。なんなら照れずに、手まで振っちゃう。ほんの少しの気恥ずかしさを隠すように、「元気してた?」とか「髪切った?」とか「忙しそうだね」とかの、なんでもないことばを掛け合う。そうしてようやく緊張がほぐれ、あれやこれやの近況を報告し合う。

毎日会ったり、毎週会ったりしている人には、これができない。いつも近くにいてくれる友や家族や犬たちの存在は当然ありがたいのだけれど、「ひさしぶりー!」を言い合える友がいることは、また別のところでありがたい。


先週の土曜日、「バトンズの学校」の補講と懇親会を開催した。

「ひさしぶりー!」でニコニコになっているみんなのうれしさが、マスク越しにもありありと伝わってきた。ぼくだってそうだ。もう学校は終わっているのだから、教える人の仮面は外してかまわない。補講の中身も「お勉強」ではない、ゲームめいたものにした。

そして懇親会の場で、いよいよ「教える人」「学びにきた人」の仮面が取り払われると、ほんとにただの友だちになっていく。そりゃあキャリアや年齢は違ったりするけれど、ジェネレーションのギャップは当然あったりするけれど、この関係はなにかと言われればやはり「友だち」としか言いようがない。元・受講生の彼らや彼女らは、ぼくにとってありがたい友だちだ。

学校をはじめる前、その教科書となる『取材・執筆・推敲』を書いていたとき、ぼくはずっと「ここからライター業界を変えてやる」くらいの意気込みを持っていた。その初志がこの先どう実を結んでいくのか、誰がどう育っていくのか、正直ぼくにはわからない。けれどもこうして30人以上もの友だちができたんだから、もうそれだけで大成功じゃないか。

ほろ酔いのレモンサワーを飲みながら、そんなことを考えていた。


またどっかの街中なんかで偶然に会えて、「ひさしぶりー!」ができるといいね。その「ひさしぶりー!」はたぶん、飛び上がっちゃうくらいうれしいはずだよ。

「元気してた?」とか「髪切った?」とか「忙しそうだね」とかなんとか、照れながら。