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野球のボキャブラリー。

もともとはたぶん、野球少年なのである。

本格的に野球をやったことはないけれど、小学校のどこだったかでバットとグローブを買ってもらっていた。キャッチボールをしたことも、野球そのもので遊んだことも、当然ある。小学三年生くらいまではジャイアンツの帽子をかぶり、そこから少しだけファイターズの(オレンジ色)帽子をかぶり、やがて野球帽をかぶらなくなった。けれども野球中継を観るのは嫌いじゃなく、普通にジャイアンツを応援する子どもだった。

やがて小学校の終わりくらいに『キャプテン翼』ブームが起こり、なんとなくの流れでサッカー部に入るのだけど、変わらず野球も好きだった。

ところが、Jリーグができるあたりから、話がややこしくなってくる。


Jリーグができた当初、メディアでも居酒屋でも学校でも盛んに「野球か、サッカーか」の議論がくり広げられた。曰く、野球はスピード感に欠けるおじさんのスポーツであり、休憩も多く、(守備時の)運動量は少なく、いかにも退屈である。比べてサッカーは目を離す隙もないほどスピーディーであり、運動量も多く、選手は若くて痩せててカッコイイ。よって、おじさんたちは野球を選び、若者はサッカーを選ぶのだ。これからはサッカーの時代なのだ。……そんな言説があふれかえった。

で、ぼくはいまさら「野球か、サッカーか」の二者択一を迫る議論の馬鹿馬鹿しさを指摘したいのではない。野球というスポーツの不思議さ、おもしろさについて考えたいのだ。

ビジネス誌やビジネス書まわりの取材をしていると、ときどき仕事を野球にたとえて語る方に遭遇する。たとえば先日の「全員野球内閣」ということばだって、仕事を野球にたとえたキャッチフレーズである。

そしておもしろいことにこれ、「全員サッカー内閣」では、なにがなんやらわからない。サッカーの世界に「全員サッカー」なんてことばは存在しないからだ。

ほかの野球用語も同様で、「ど真ん中に直球を投げる」とか「このへんで変化球を挟んで」とか「ここは送りバントで」とか「外野フライでもいいから1点とるんだ」とか「フルスイング」とか「抑えの切り札」だとか、野球のことばというのは、やたら仕事のたとえ話にしっくりくるのだ。

一方でサッカー用語というのは、せいぜいオフサイドやイエローカード、レッドカードなどの「制度のことば」が使える程度で、ポゼッションがどうしたとか、逆サイドに大きく展開するだとか、くさびに入って云々みたいな話は、どうも仕事にたとえづらい。サッカー経験者の自分がそうなのだから、サッカーに詳しくない人にとってはなおさらわかりづらいだろう。


いま、ぼくが仕事で書く原稿に「野球のたとえ話」を挿入することは、ほぼありえない。野球のたとえ話をしてることが「おじさん認定」につながり、語り手となる方にご迷惑をかけてもしょうがないし、なんといっても陳腐だ、野球にたとえるのは。

でも、ほかのスポーツ用語で代用するのもむずかしそうだし、ビジネス用語を別のビジネス用語に置き換えても仕方がない。そもそも野球を通じてこれだけたくさんの語彙とイメージを共有できているのだ、ぼくらは。だったらもっともっと、照れずに野球にたとえてもいいんじゃないかなあ、という気がしている。もちろん野球ファンじゃない人にも伝わる範囲で。この、野球という汎用性の高い「ボキャブラリー辞典」を捨ててしまうのは、あまりにもったいないのだ。


えー、ぼくは「ポテンヒット」ってことばが好きです。