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「ダサい」を越えた先にあるもの。

会社近くのコーヒーショップに、タピオカが売られている。

数年前に流行った商品であり、飲んだことのないぼくでさえ食傷気味の名前だ。仮にいま、ぼくがツイッター上で「今日はタピオカミルクティー!」なんてつぶやけば、たくさんの方々が「草」だの「藁」だのはやし立てることと想像する。うん、端的に言っていま、タピオカなんとかティーを自慢気に飲むことは、ちょっとダサい。「ダサい」なんてフレーズがすでに死語にしてダサいというツッコミはよそに、やはりダサい。

けれど、流行りもの全般は、この「ダサい」の壁を乗り越えてこそ定番へと育っていくものなのだ。もう流行ってないよ、そんなの飲んでるのは年寄りだけだよ、いまの時代は◯◯だよ、みたいな風雪を耐え忍んだ先に、「やっぱりタピオカ、うまいよね」「案外タピオカ、好きなんだよね」の晴れ間が広がる。定番商品になっていく。ぼくの世代でいうと、ティラミスあたりは完全にその道を歩んで現在の地位を手に入れたように思う。タピオカもまさに現在、「ダサい」と「定番」の瀬戸際に立たされているのだ。


もちろんこれは、人についても同じことが言える。「むかし流行ったよね」「いまはちょっとダサいよね」「いまの流行りは○○だよね」を乗り越えてこそ、その人は本物というか、一人前になる。

ここで大切なのは、とにかく店頭に並んでいることだ。

ブームの風が吹き荒れていたときには、店頭に並んでいるだけでたくさんのお客さんが手に取ってくれた。けれどもブームが去ったいま、なかなかお客さんが振り向いてくれない。むかしながらのアイスコーヒーやアイスティーは一定数売れていくのに、タピオカである自分はちっとも売れない。なんなんだ、お前ら。あんなにおれのことを求め、おもしろがってくれていたではないか。少しでも飽きたら、もうお払い箱か。いまでも飲んだら、ちゃんとおいしいんだぞ。

みたいな不遇の時代にも腐ることなく、店頭に立ち続ける。「わはは。タピオカだってよ」「何年前の商品だよ」みたいな嘲笑に負けることなく、じっと立ち続ける。さすればいつか、「タピオカ、ひさしぶりに飲んでみるか」の人が現れ、「やっぱ好きかも」の声が広がり、流行商品ではない定番商品になっていくのだ。品物がしっかりしてさえいれば。

8年目に突入した週日noteの閲覧数が、1500万viewを超えていた。

たぶん一度として流行った(バズった)ことのないぼくのnoteだけれども、継続はホニャララなり。いまの感じで続けていきたいと思う。