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夕食に肉まんを食いながら。

仕事帰りのスーパーで、肉まんを買った。

スーパーに入るまでは、焼きそばでもつくるかなあ、と思っていた。適当に惣菜を買うのもいいけれど、なんかつくりたいよな。でも本格的な料理をつくるだけの時間も元気もないよな。やっぱり焼きそばかな。あれ、そういえば土曜日もたしか、焼きそばつくらなかったっけ? みたいなことを考えながらスーパーに入ると、生鮮食料品売り場の横に、肉まんが売られていた。まるでこちらの調理欲と怠惰を見透かしたかのようなポジショニングだ。

せいろで蒸して、これを食べよう。余計なことは考えず、肉まんのみを夕食としよう。迷いが生じないうちに、早足でレジに向かった。

肉まんはおよそ、肉と野菜と小麦粉からできている。タンパク質、食物繊維とビタミン、それから炭水化物。そりゃあハンバーガーや牛丼も似たような構成ではあるけれど、どう考えても肉まんのほうが野菜が多い。そういうわけでぼくは、肉まんを完全食のひとつだと考えている。

さて。よく知られているように九州の人間は、肉まんに酢醤油をつけて食べる。コンビニで肉まんを購入した際にも、かならず酢醤油の小袋が付けられる。関西の一部にはソースをつける派の人もいると聞くが、ソース派にぼくが「まじで?」と思うのと同じくらい、酢醤油派たるぼくらに「まじで?」と思う人もいるのだろう。餃子じゃあるまいし、と。

で、ここでどっちがうまいとかを争うのはまったく不毛なことで、結論からいうと酢醤油とソース、どっちもうまいのだ。慣れてさえしまえば。

たとえばぼくの場合、九州で育った人間だけあって、長らくラーメンはとんこつ派だった。関東のうどん・そばは食えないと思っていたし、(甘みのある)刺身醤油を使わない関東の刺身や寿司も、なんだか味気ない感じがしていた。味噌だって九州のものをうまく感じ、九州産のものを使っていた。

しかしながら東京暮らしが長くなるにつれ、こちらの味にも慣れてきた。いまではいろんな味のラーメンをおいしく食べているし、うどんもそばも、刺身も味噌も、ぜんぜん関東仕様でオッケーだ。

しかも帰省した折には「やっぱりこの味だよなあ」なんて、子どものころから慣れ親しんだ料理を楽しむことができ、要するに現在のぼくは、ふたつの土地に慣れているのである。ひとつの土地に慣れきるよりも、そちらのほうが豊かだろう。


といった話はいろんな分野にいえるはずで、たとえば邦楽と洋楽。あるいは邦画と洋画。日本文学と海外文学。アメリカ文学とフランス文学。それからぼくの好きなロシア文学。これらに下手な優劣を設けて考えるのではなく、単に「慣れ」の問題であると知り、多少の違和感があったとしても、慣れるまでとりあえず食べ続ける。そうすることで少しずつ感性の舌が肥えていくのではないかと思う。いや、肉まん食いながら言うことじゃないけども。