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速筆だったぼくが、遅筆になった理由。

筆が遅いさまを「遅筆」という。そして遅筆の対義語を「速筆」という。

たぶんぼくは、いま生まれてはじめて「速筆」という文字をタイピングしたはずだ。そして本日よりこの先、速筆について語ることもなければその文字をタイピングすることもないだろう。だってぼくは遅筆家なのだから。筆が進まないよお、と嘆く機会は何度となくあるだろうけど、その逆を語る機会など訪れようがない。

じつをいうとむかし、ぼくは速筆家だった。

みんな「盛った」冗談としか受け止めてくれないのだけど、30歳くらいのあるとき、不眠不休の44時間で一冊、書き上げたこともある(ちなみにそれはウォーキングを推奨する本だった)。長くても3週間、普通であれば2週間で一冊を書き上げるのが、当時のペースだった。


しかしながら当時、ぼくは自分の筆の速さを誇りにしたり、自慢気に語ったりすることはなかったように思う。まあ、2週間で一冊書いてるってことがバレてしまえば「じゃあもう一冊」なんて依頼がきてしまって死ぬ、という事情もあったのだけど、それ以上にぼくは筆の速さを恥じていたのだ。

前にどこかで書いた話だと思うけれど、映画監督の黒澤明さんは、かつて画家を志していた。そんな彼の描く絵コンテはまことに見事なもので、ほとんど「作品」と言ってもよい出来映えだったし、実際に作品集として出版されていたりする。

しかし、「本格的に画集を出したらどうですか」の問いに対し、彼は首を振り続けた。自分は画家ではないし、その才がない。なぜなら自分は、すぐに描き上げてしまうのだ。たとえばモネは、あの睡蓮の庭で何か月もカンバスに向かい、ずっと描き続けることができる。それは「ほかの人には見えていないなにか」が、モネの目には見えているからだ。残念ながらわたしには、それが見えない。そんなことを彼は言っていた。

とんでもない速筆家だった当時の自分はまさにこの状態で、ひとつの本、ひとつの章、ひとつの段落、ひとつの文、そしてひとつのことばに対する「こらえ性」が、まるでなかった。

筆が遅くなり、そのぶん文章がよくなったかどうかはわからない。ただ、あのころよりも「よくする余地」はできたんじゃないかと思っている。のろのろ書くのはプロとしてどうなんだとも思うけど、やっぱり筆が速すぎた当時を誇りに思うことはできないのだ。