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それをほしがる大人になっちゃダメだ。

そんなものをほしがっちゃいかんだろ、と思った。

50代以下の日本人なら、誰もが一度は「ドラえもんのひみつ道具、ひとつだけ手に入るとしたらなにがほしい?」の議論を戦わせたことがあるだろう。ずるい子どもは大抵「もしもボックス」の名を挙げる。「もしも○○だったら?」の願いがなんでもかなう「もしもボックス」は、無限の用途があり、ある意味無敵である。しかしながら「もしもボックス」を所望する子どもは「いまほしいもの」を考えきれない&決めきれない子どもとも言え、答えを先送りしているに過ぎない。その意味で「もしもボックス」はいちばんつまらない答えだ。

また、朝寝坊や遅刻癖のある子どもは「どこでもドア」と答える。扉を開けたらそこは学校。直前まで寝ていられるし、旅行にだって行ける。「どこでもドア」を本気でほしがる大人は、わりと多い。

一方、主題歌にも歌われ、ひみつ道具の代名詞的な存在でありながら「タケコプター」は意外と不人気だ。人は、そして子どもは、「空を自由に飛びたいな♪」とは思っても、それが唯一絶対の願いではないのかもしれない。

その他、「タイムマシン」は定番だし、小学生にとっては「アンキパン」の魅力も捨てがたい。Google翻訳やDeepLが登場すると決まって「これはもはやリアル『ほんやくコンニャク』だ!」なんて騒がれるのは、「ほんやくコンニャク」へのあこがれがいかに強かったかを示している。


で、さすがに大人になると「ドラえもんのあれがほしい!」みたいな願いはなくなってくるのだけど、30代から40代にかけての自分が心底ほしがっていたものがある。

コピーロボットだ。

「パーマン」に出てくる、赤い鼻のコピーロボットである。仕事がめちゃくちゃに忙しかったフリーランス時代、ぼくは本気で「コピーロボットが2台くらいあればなあ」と思っていた。自分があと2人、ほしかったのだ。

子ども時代、特段コピーロボットにあこがれた記憶はない。「パーマン」の作中においても、子どものあこがれを誘うような道具としてではなく、正義の味方業という職業上の秘密を守る「アリバイづくり」の道具を原則として存在していた。「学校の宿題はコピーロボットにやらせて……」なんて描写はあったにしても。

「自分があと2人ほしい」という願いの背後には、「ほかのやつよりおれのほうがいい仕事をする」との不遜がある。そして「もっともっと働きたい」「もっともっと登りたい」の不遇と哀しみがある。正直なところを言うと、いまでもたまにコピーロボットがほしくなる。

コピーロボットをほしがる大人は、よくないなあ。なんか追い込まれてるし余裕がないし、「もしもボックス」の何倍もつまんない答えだよなあ。

タケコプターをほしがる大人になりたいです。