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ストレスには、ふたつの種類がある。

以前、スポーツ心理学の専門家に取材をしたことがある。

その方は、ストレスについて「なんらかの刺激によって心身に〝ひずみ〟が生じた状態」のことだと定義されていた。たとえば、騒音のひどい場所にいて頭が痛くなる。これは、騒音という外部からの刺激によって、心身のバランスにひずみが生じた結果、頭痛というストレス反応が出た、と考える。そしてここでの騒音(刺激)のことをストレッサーと呼ぶ。ストレッサーには痛みや騒音のような「物理的刺激」と、悩みや心配事などの「心理的刺激」とがある。ざっと、そんなふうに教えてくださった。

当たり前のことじゃないか、と思われるかもしれないが、よくよく考えるとこれはたいへんに興味深い考え方だ。

たとえば誰かに罵詈雑言を浴びせられる。その「刺激=ストレッサー」によって心身にひずみが生じる。結果、なんらかのストレス反応が出る。これはとてもわかりやすいストレスの事例だ。

しかし「ストレッサー」とは、マイナスの刺激ばかりを指すのではない。周囲の誰かに、ものすごくほめられること。ちやほやされること。それも立派なストレッサーであり、刺激を受けた人の心身には、なんらかのひずみが生じる。もっとがんばろうとか、このまま突き進もうとかの、プラスのストレス反応が出る場合もあるだろうけど、不遜や傲慢の、マイナスのストレス反応が出る場合だってあるのだ、きっと。


ぼくは長年、紙の本というフィールドで仕事をしてきた。紙の本や雑誌はウェブに比べて、読者の声が届きにくい、という欠点が指摘される。たしかにそれはそうなんだけど、読者の(好意的な)声がバンバン聞こえてくるウェブはうれしい場所なんだけど、「声というストレッサー」の届きにくい場所で生きてきたのは、もしかしたらよかったことかもしれないな、と思う。

ディスられて壊れる心もあれば、ほめられて歯車を狂わせちゃう心もあるんだよなあ、と。