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今年を振り返るには、まだ早いけれども。

特記すべき出来事ではないものの、きのう柿内芳文氏と会った。

早かったこの一年を振り返り、来年のことを話し合った。もちろん来年のことといえば、ぼくの書いている本が中心になるのだけれども、それ以外にも少し「来年はこんなことをしたい」とか「やっぱりこの歳になると」とか、原稿から離れた話もすることができた。

『嫌われる勇気』をはじめ、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』だったり、堀江貴文さんの『ゼロ』だったり、ぼくのプロフィールに掲載されている本(つまり代表作のようなもの)の多くは、彼と一緒につくったものだ。まわりから名コンビのように言われることも多く、たしかに相性はいいのだと思う。

けれどもそうして周囲からコンビ扱いされていると、だんだん自分がわからなくなってくる。自分は、彼という優秀な編集者と組んでいるから、いい仕事ができているのか。彼がいなければ、たいした本はできないのか。自分を疑うわけではないけれど、なんともいえない不安があたまをよぎる。



きのう、この一年を振り返りながらあらためて思ったのは、「おれにとっての2019年は、とにかく幡野さんのあの本だなあ」だった。ちょうどきのう、特設サイト(幡野さんの不定期連載つき)がオープンしたところだ。

『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』という本を編集したは、柿内芳文氏ではない。ポプラ社の木村やえさんという編集者だ。

そして『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』は、これまでぼくが携わってきた本のなかで、相当に飛び抜けた一冊だと思っている。どう言えばいいのだろう。幡野広志さんというすばらしい才能と出会い、「よし、この人のために自分の100%を出し切るぞ」と腹をくくり、ほんとうに100%を出し切ることのできた、きわめて稀有な一冊なのだ。

それでありがたいことに、この本の(ほんとうの)価値をもっとも認めてくれているうちのひとりが、柿内芳文氏だったりする。彼はこの本の価値を、『嫌われる勇気』と同じくらいに認め、絶賛している。

そしてぼくもまた、来年刊行されるという幡野広志さんの新刊『なんで僕に聞くんだろう。』を、こころからたのしみにしている。本づくりに携わっていないひとりの読者として、幡野さんのことばをたのしみに待っている。


来年はどんな仕事ができるのかなあ。鬼が笑う前に、おれが笑いたいよね。