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忘れてなかった顔と名前。

もの忘れの激しい人間である。

名刺交換をした相手はおろか、一緒にお酒を飲んでたのしくしゃべったはずの人、なんなら一緒に仕事をした人の顔や名前さえ、忘れることがある。とくに最近多いのは、直接に対面した際、ソーシャルメディア上のアイコンは浮かぶものの名前が出てこない、というパターンだ。まったく失礼な男だと自分でも思うし、どうにかして改めたい。

先日、新聞のとある経済記事を読んでいた。読んでいたと言うよりも、目を通していた、と言ったほうが正しい。企業の買収だったか、合弁会社の設立だったか、そういう感じの記事だった。買収する側される側、どちらの社名も知らない。けれども自分に身近なサービスに関連した話でもあったため、「ふーん」と読んでいた。目を通していた。

まてよ。

目が止まった。記事に書かれた経営者の氏名に、妙な胸騒ぎをおぼえた。妙な、と言うくらいだから、わくわくしたのではない。ぞわぞわと、胸の奥底に眠っていた黒い粘液が波打ちはじめた。

再度確認しても、知らない会社だ。けれどもこの社長の名前からは、猛烈な不穏が漂っている。すぐさまコピー・アンド・ペースト。彼の名前で検索をかけた。


うわあああああ、こいつだぁぁぁぁ。


表示された社長の写真に、すべてを思い出した。25年以上も前、彼の社長室での出来事が、部屋のインテリアごとよみがえってきた。

経済雑誌でライターの仕事をはじめたばかりのぼくは、彼に取材した。創業までの経緯、ここまでの苦労、これからの展望と夢。さまざまなことどもを気持ちよく語ってもらった。しかし取材の終盤、あるひと言(誰にどれだけ聞かれても書きませんし言いません)をきっかけに、彼は激怒した。「ふざけるなぁ、帰れぇ!」と叫び、テーブルに置かれた巨大なガラスの灰皿を、こちらにぶん投げてきた。身をかわさなければ確実に頭部を直撃する、渾身の一投だった。「怒って灰皿を投げる人って、ほんとにいるんだ!」。都市伝説のように聞いていた「怒れるおじさんの灰皿投げ」に、まさか経営者インタビューで遭遇するとは夢想だにしなかった。インタビューで怒られたのは、後にも先にもあのときかぎりだ。


さて、これを「嫌なことをされた記憶は残り続ける。だから親切でいよう」という教訓でまとめることはできる。あるいは「顔や名前を憶えていないのは、その人にほどよい好感をもっている証拠と言えるのかもしれない(なぜって嫌な相手のことは忘れないのだから)」という仮説を提示して締めくくることもできる。

しかし正直な話をすると、25年以上ぶりに彼の顔と名前を見て、彼が現役の経営者として新聞記事になっている事実に触れたとき、「いろいろあったけどさ、お互いがんばってきたよね」という妙な邂逅と和解、上から目線の念がもちあがってきたのである。

彼はあの日に投げた灰皿、憶えているのだろうか。それとも都市伝説よろしく、毎日のように投げ続けた25年だったのだろうか。二度と会いたくはないけれど、ぼんやり想像するのである。