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回らない首で考えるお金の話。

数日前に寝違えて以来、文字どおりに首が回らなくなった。

「借金で首が回らない」ということばはたぶん、首が回らないほどの重荷を背負っているとか、首を回すほどの余裕もないとか、首を回せば(余計なことをすれば)借金取りに見つかってしまうとか、本来そういう意味なのだと思う。しかしながら実際に首が回らなくなると「ものすごくつらい」し、「つねに緊張状態が続く」し、「ほかとはぜんぜん違う種類の激痛が走る」。なるほど借金もそういうものなのかもしれない。

振り返ると大人になってからのぼくは、貧乏が長かったわりに借金を抱えたことがなかった。いや、一時期リボ払いの底なし沼にハマったことはあったけれど、数学音痴が幸いして当時はあれを借金だと認識する頭さえ持ち合わせていなかった。リボ払い便利だなー、としか思っていなかった。

会社をつくるにあたっても同様で、銀行その他からお金を借りたことは一度もない。お金に詳しい人が(うちの会社でも受けられそうな)融資に関する説明を何度かしてくれたものの、まったく意味がわからないというか、「その手間をかける時間があったら稼ぐよ」としか思えず、現在に至るまで無借金経営を続けている。まあ、うちの場合は外注費がほぼゼロだからそんなこと言ってられるんだろうけども。

ぼくはもう、20年以上にわたって本のライター、もしくは著者として生計を立てている。うちの会社も原則としては本の編集・執筆業のみを、みずからの業務領域としている。

この仕事がありがたいのは「後ろめたさ」の少なさだ。

たとえばぼくが(自著として)定価1500円の本を書く。その初版部数が5000部だったとする。そうした場合、

1500円 × 著者印税10% × 5000部 = 75万円

これが売上げのすべてである。何ヶ月もかけて、場合によっては何年もかけて書く本だ。多いとか少ないとか、いろんな意見はあるだろう。一方、本には印税という制度があり、5000部だった本が5万部になれば、売上げも10倍になる。50万部になれば100倍だ。

しかも、定価を決めるのは出版社さんであり、初版部数を決めるのも出版社さんだ。ぼくとしては、たくさん重版がかかってくれるよう、少しでもいい本をつくっていくよりほかない。

一方、2年前に開催した「バトンズの学校」では、価格設定に苦労しまくった。会社として取り組むことだから、赤字になってはいけない。それなりに受講料をいただく必要がある。しかし大儲けを目論んで高額な受講料にするのも、違う気がする。儲けがほしくてやるのではなく、自分が必要だと思うからやるのだ。最悪赤字にならなければそれでいい。新卒くらいの人たちにも来てほしいし、学生さんには学割も設定したい。かといって受講料を低く設定しすぎると今度は、受講生の数を増やさないと赤字になるはずで、自分が何人くらいの受講生さんをカバーできるのかよくわからない。——言い値のむずかしさというものを、心底実感した。

会社の将来を考えると、本とは別の柱もつくっていかなきゃとは思うんだけど、自分や自分の仕事に(やる前から)値段をつけていくのって、むずかしいよなあ。どうしても「そんなに大したもんか?」って後ろめたさが出ちゃうんですよねー。

回らない首で、そんなことを考えています。