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わたしのやる気スイッチ。

心理学なんて学問分野があるくらいだから、当然だろう。

人間の心理って、不思議なものだなあと思っている。別に言動のおかしな人を見てそう思うのではなく、おのれ自身の心の動きを見つめて、そう思っている。というのも今日、オフィスの引越が本決まりとなったのだ。不動産屋さんや保証会社の審査が無事おわり、ここから正式な契約を交わしてたぶん再来月くらいには引越する。

きのうまでのぼくは、「早く審査が通らないかなあ」と思っていた。合格発表を待つ受験生のような気持ちで、はやくこの宙ぶらりんな状態が終わらないかと思っていた。しかし、いざ引越が本決まりとなった途端、無性に面倒くさくなっている自分がいる。なんならちょっと、やだ。

これがたとえば来週に引越とかであれば、面倒だのしゃらくさいだのと言ってる余裕はなく、わーきゃー言いながら準備に追われているだろう。しかし再来月という長くも短くもない期限が、いかにも面倒くさいのだ。


仕事でもわりと同じことがいえて、たとえば明日締切の原稿はもう、うだうだ言ってる余裕はない。寝る間を惜しみ、食う間も惜しみ、大小の用を足す時間さえ惜しみながらひたすら書きまくるだけである。なぜならライト・マイ・アス。お尻に火が点いているのだ。

しかし再来月が締切の原稿は、なかなか気が進まない。企画を立てているあいだはワクワクドキドキランランラン♪なのだけれど、いざ「あとは書くだけ」の状態に置かれ、しかも中途半端な時間的余裕があると、なかなか身が入らない。「書くのかなあ。書くんだろうなあ。書かなきゃいけないんだものなあ。あんなにワクワクして、書きたかったんだものなあ」みたいにぐずぐずしてしまう。

こういうときに脳科学では「作業興奮」という概念を持ち出す。

たとえ仕事と関係のないことでもいいから、まずは「作業」に取りかかる。机のまわりを片づけるとか、服にアイロンをかけるとか、たまった経費精算をおこなうとか、なんでもいいから「作業」に入る。

すると脳の「側坐核」という部分が刺激され、脳が興奮状態に入る。つまりは「やる気スイッチ」が入る。この勢いに乗ったまま仕事に臨めば、あなたの立身出世は間違いない。……まあ、これが「作業興奮」に関する一般的な言説である。きっと脳科学的に、これは正しいのだろう。


ところが、である。

困ったことにそういうときのぼくは「机まわりの片づけ」すら、面倒くさいのだ。なんならそれをやりたくなくて、ぐずぐずしてるのだ。なんというかそれは、運動が億劫な人に対して「しばらく散歩していれば『作業興奮』のゾーンに突入して、走るのも苦じゃなくなるよ」とアドバイスしているようなもので、こっちは散歩も面倒なら、外に出るのも面倒なのだ。

……なんてどうでもいい話をくどくど書いている理由は、もうおわかりだろう。


なんだかやる気の出ない金曜日、ぼくは「作業興奮」をめあてにこんな駄文をしたためているのである。


さて、やる気はでるのかしら。