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私の生き方に後悔はない。と



「ふみは、大人の余裕と若さのキープをどちらも望んでいるけど
実際はどっちなの?」と聞かれた。



その子曰く、
大人になるにつれ、成長していくにつれ変わっていくのは、世界の広さと高さ。

子供の頃は何でも夢中になれた。
毎日が目の前のことでいっぱいの子供の頃は生きている心地がして良かったけど、
それを時に諦めることにより、だんだん世界が広がっていくような気がする

大人の余裕とは、諦めを含んだ広い世界で
子供や若さは、夢中になる狭い世界だと。



僕の理想は、
編み物をしながら孫に話しかけるおばあちゃんみたいな存在で、
時間に余裕があって好きなことが出来る(大人の余裕、経済的にも、精神的にも、余裕がある)状態で、
誕生日きても、「え、おばあちゃん年々若くなってない?(イキイキしてない?)」みたいな感じだ

って返した。

でも、これも友達のバイアスが入っているから
ちゃんと自分の言葉にすると

「全力で生きた。後悔はない」と言って死んでいくこと、だ。
つまり、その子の言うところの「子供の頃の夢中さ」を追いかけている

確かに、自分は何かに熱中していることが多いと思う。
イキイキしているし、退屈もしていない。



そうは思うものの
最近、いろいろ手を出しすぎて
「1週間が圧倒いう間に終わってしまう。何をしたいのか考えられていない」
と思っていた。

全力で行き過ぎていた。生き急いでいたのだ。


今日読んだ「スタンフォード大学 集中講義」の中で
「自分が当たり前のように行なっていることを、たったひとつ入れ替えるだけでも
生活は面白いように変わる」と。

朝起きて顔を洗って洗濯して、、、風呂に入ってnews23を見て目覚ましセットして寝る
生活を少しだけ変えてみて、朝起きたら散歩する。をやってみよう。
googleカレンダーに入れたからきっとやる!



「選択肢は無限にある」
「あなたの思い込みは、世界を見る窓そのものです。時々、汚れを落とさないと、光が入ってこないのです」


だから、毎日を全力で謳歌しつつ、迷わずに生きていける気がしている。
なんせ、今年は”とことん楽しむ”って決めているから。


ただ、「夢中になることを見つけられないのは人生が充実していない」わけではないし、
この選択肢が広く、見ている世界が広くなった世界では、みんなそんなもんだし。


だから、僕は単純に、「死ぬ前に後悔したくない」という思いから
中途半端にしたくないのかもしれないし、
ただ、心の何かを埋めたいのかもしれないし、

それはまだ分からない。


見ている世界が広く高くなっても
何かを全力で頑張っている人をけなしたり
簡単に諦める大人にはなりたくはない。

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