「いつか」は来ない



友達と遊ぶときに
「いつか遊びに行こうね~」というのは社交辞令。
「いつかいこ」は「いけたらいく」と同義で、きっと来ない。
そんなもん。


最近、人の悩み相談を聞いたりする機会が多い
泣きながら電話してきたりもする。
彼らは、こぞって鬱にも似た症状を抱えていて
「今は苦しくても、、」「周りはもっと頑張っている」
「将来のために、、、」という。
だいたいは、努力家で周りに弱みを見せられないタイプだ。
そんな人達に、
「将来どんな生き方がしたいの?」と聞くようにしている

そしたら、
「”いつか”自由にやりたいことをしたい」、という。
自由に海外を飛び回り、自由に物を買いたい。と。

そのために必死で貯金をして、
20年後くらいにはお金が貯まったら”きっと”人生が楽しいと
想像して生きている。
お金がないとどこかへ行くことも好きな物を買ったりできないのはそうだ。

欲しいものは、すぐ買った方がいい。物欲にも賞味期限がある。
揚げ物は若いうちにたくさん食べた方がいい。いつでもそれを食べられるようになった頃には
重くて食べられない。
と、父が言っていた。


「今は苦しくても、きっと未来は明るい」と信じている。


僕も、明るい未来を信じている。
ただ、今が絶望を感じる状況だったら逃げるだろう。

母は、僕が東京のベンチャーに行くと言ったら
「いつでもかえっていいんだから。心が枯れる前に」と言った。
命があってこその頑張りなはずだ。
心が死んでしまったら、生きているのか分からない。

逃げるのは恥ではないし役に立つ、し
むしろ逃げるのを後回しにしているのもよくない。
逃げる際の第一ステップは、
「自分、今こんな状況なんですよね」ってことを伝えることだ。

もし、誰にも打ち明けられずに、自分が鬱で入院したら
一緒に活動している仲間から「何で言ってくれなかったの?」といわれるだろう
だったら、大変なことになる前にSOSを出したい
弱みを見せて、助けてくれない仲間なら、仲間ではないし、
言うことで、心も幾分か救われる。

「周りはもっと頑張っている」とか、
自分から弱みを見せられないのも、分かる。

ただ、充分頑張っているのは、分かっている。
だから自分で自分を認めてあげて。

僕は、話を聞いてあげるくらいしかできない。
でも、「やばそうだな」と思ったら声はかけている。心が死ぬ7歩前くらいには。
「心が死んでるよ」「生きてるだけで、えらい」と言っている。

僕は、防衛本能的に7割(の力)で人生を完走ができるように生きている。
それを友達に伝えたら、「意外と安定志向だね」と言われたw

だから、人の相談に乗れる心と時間のキャパを持ち合わせている。
ただそれだけだ。
100m走のスピードでマラソンは完走できない。

全力と無茶は違う。
心がネガティブなら一旦、ハーゲンダッツ食べて休憩しとこ。


いつか、よりも、今日、幸せでいたい。

一旦、朝日を一緒に見に行こ!

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