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一般財団法人東京私立中学高等学校協会・東京私学教育研究所が主催『教務運営研究会』講演に登壇しました

昨日は一般財団法人東京私立中学高等学校協会、東京私学教育研究所が主催する教務運営研究会において講演をいたしました。

東京私立中学高等学校協会は、東京都内の私立中学校184校・高等学校239校が加盟する団体です。
そして、私学教育の振興・発展を目指し、教職員の資質向上と教育内容の充実を図る目的で設立したのが東京私学教育研究所です。

昨日は教務主任・教務部長の先生方が学ぶ「教務運営研究会」にお声がけいただき、『よりよい人生をつくるための大学受験』と題して、総合型選抜の現実と指導のあり方について話をいたしました。

募集人数が70人のところ、応募者多数となり締め切り10日前に満席、増席となりました。
結果として101名の先生方にお越しいただきました。
お忙しい中、ありがとうございます。

教務の先生方の仕事は「授業時数を管理すること」なのですが…

校長の監督を受け、教育計画の立案その他の教務に関する事項について連絡調整及び指導、助言に当たる。

学校教育法施行規則

「その他」の範疇が広範なのです。

こうした屋台骨を支える先生方に、どういうエッセンスをお伝えすればいいのかを、ご担当の先生といろいろ議論した末に、以下のアジェンダが出来ました。

①総合型・学校推薦型選抜の現状

・文部科学省のデータ等をもとにした状況把握

②総合型選抜入試の状況

・三観点と試験形態と思考コード

・難易度と指導の強度

・課外活動実績、外部英語検定試験等の取り扱い

・学校行事や探究・研究活動の活用

③私の指導実践について

・高校3年間と総合型選抜対策の一貫したカリキュラム設計

・面談のポイント

・志望理由書指導のポイント

④質疑応答(ケーススタディを中心に)

それぞれかなり込み入った話になるのでここでは触れませんが(貴学の教員研修会にぜひお呼びください)、やはりこれらの話はほぼ思考コードで説明できるな、と感じた次第です。

そういえば、東京の私学の先生方には、以前2018年と2019年に教頭部会で志望理由書のお話しをさせていただいたことがありました。

私がつくった総合型選抜対策のメソッドを、こうして東京の私学の先生方と共有できたことを嬉しく思います。

講演の最後に質疑応答の時間をいただきましたが、Googleフォームで頂戴し、できる限りリアルタイムで回答し、残った質問はのちにお戻しするということをやってみました。
その質問と私なりの回答をシェアしようと思います。
おそらく多くの先生方のお悩みどころではないかと思います。
なお、個人は特定されないようにしています。

先生に毎年ご講演をいただいて、本校にも総合選抜係ができました。
探究をしていて思うのが、好きを追究することが社会に結びつくのか、社会に結びつく好きを発見させるのか?
この指導に悩みます。

社会に結びつけるというよりも、生徒の心の中に「自分の存在によってどう世界づくりに貢献できるのか」という眼差しを持ってもらうことが大事だと思っています。
一見関わりがないように見えても、実はシステムの一部に組み込まれているもので、それに気付くのが今ではないということなのかもしれません。
ですから、総合的な探究の時間だけでそれを実現するというよりも、彼ら彼女らの人生のどこかで気づけるように、どう仕掛けるのかが大事な気がします。

とても示唆に富んだものでした!
よくある質問かもしれませんが、探究を進めながら、知識をどのように担保するか。大学は結局知識がない学生は扱いに困ると思うので、その辺りをどうデザインするかが悩みどころです。

探究を進めながら、習得や活用を意識するというデザインの中で、どう学術的な視点を持ち込むのか、という話だと理解しました。
その場合、情報収集の方法、学術論文の読み方などをレクチャーすること、その様子をポートフォリオ等で都度報告すること、先生方や生徒さんが確認できるようにすることである程度解消できるのではないかと思います。
ただ、学術用語の理解に根気負けする生徒さんが続出するので(自分の都合でしかモノを見ないのが人間の習性かもしれません)、そういう文章でも果敢にトライするマインドは育てて差し上げたいなと思います。
私の場合は、そのわからない言葉を学校の先生、大学の研究者に尋ねたり、動画やまとめブログ等で理解したりしてもいいよ(ただし内容の確認は必要)と伝えています。

高校のキャリア教育は、個人でご担当されていますか、チームでしょうか。チームの場合、他の先生と協働するために、どのようなことを心がけていらっしゃいますか。

チームで担当しています。
進路指導部管轄、教務部管轄、探究関連部署管轄とさまざまです。
チーム外の先生方との協働は、主義主張の問題で対立する構図となる場合もあり、かなり苦労しています。
ただ、チームのメンバーが安心安全でいられる場をつくり続けることは行なっています。
緩やかに探究について語り合う場をつくりながら仲間を増やす試みなど、工夫しています。
一例ですが、日私教研の紀要58号に札幌日大高校の事例が載っています。
私が関わっております。ご参考になさってください。

探究の方向性の議論において、オタクを育てたいという意見が教員内から出てくることがあります。個人的には社会への視点とのバランスが必要だと考えていますが、この点、ご意見はいかがでしょうか。

オタクはMy Projectになりがちですので、これをどう世界に視野を拡大するのかができれば良いのかなと思います。
最初から世界と自己とのつながりを見出すことは難しいかもしれません。
関連する話かもしれませんが、世界に向けてとなると「◯◯の良さを伝えたい」と普及活動を安易に選択する探究をし始めるケースがあります。
しかし、それは問題に紐づく課題を解せていない(出来事が生じるシステムの複雑性に気づいていない)ということかもしれません。
解した上で、その課題を乗り越えることが最も効果的で、重要視すべきことなのか、という検討がなされない中での普及・啓蒙活動には疑問を抱くというのは、ごく自然なことなのかと思っています。

興味深いお話ありがとうございました。
高校で短期間でこのような視座にたどりつくのではなく、中高一貫だからこそ、中学生の間に培うことができる力や実践例があったら、ご教示いただければと思います。

中高一貫だからこそできる、というのは私も共感します。
学齢にあった学びを展開する中で、創造性を育む機会、自己の価値観との相違に気づく体験(海外研修、異文化交流、フィールドワーク、読書など)など、レベル3もしくはC軸の眼差しが持てる豊かな経験の機会を設けるというが、私も大事だと思っています。
探究の仕組みが素敵な中高一貫校は、こういう仕掛けをお持ちですね。

探求活動がうまく決まらないときの指導法について。興味が深くならない、関心を持つ事象が見つからない生徒への対応で具体的にどんなことをされましたか?

興味が湧かないという裏側でどういう心の動きがあるのかを問いかけてみるようにしています。
行動に出ないということもある種主体性ですので、その意図を探るということです。
興味はあるけれど先に進まない(進めない)背景が、探究そのものの他にもあるかもしれません。
形式知で語ること(生徒が言葉にして語ること)だけが真実でもありませんので。
むしろ、そういう心の動きになるのはどうしてだろう、というのも探究になるかもしれませんね。
まさに心理学・精神医学の入り口になります。フロイトの同一視と投影など、参考になるかもしれません。

生徒の意識を探究から研究へステップアップさせるにあたり、気をつけていることはありますか。

研究とはどういうものかを共有したのちに、探究活動の中で生じた違和感(ズレ)は何かと問うた上で、そのキーワードをもとに学術論文の検索をしてもらっています。
場合によっては論文の読み解き方の解説もしています。
ただ、研究活動をしていくと、生徒の興味関心が揺らぐことがあります。
この揺れをどう許容するかが大事な気がします。
私はこの揺れはあっていいと思うので、「詳しく聞かせてくれる?」などと問いながら、いろいろな話を聞いてみます。

大学を選択する際に志望理由が「資格を取るため」で止まってしまう生徒をどのように先に進めたらいいのでしょうか?

大学は研究機関という前提であれば、資格取得が目的となるとズレが生じます。
もし生徒さんと対話するならば、「どういう研究・探究テーマを持って専門性を高めれば、どういう仕事に生かせるのか?」と問うても良いのかな、と思います。

本日はありがとうございました。
先生の表現で、複数回「善」という表現がありました。最高善、善い未来。悪に対しての対立概念かと思われるのですが、悪い未来、最低の悪と思われることはありますか?"

私はコミュニタリアンです。
多くの人々が幸せになる世界を目指すとなると、寛容のパラドックスが起こるような状況は好ましくないと思っています。
他者の自由を阻害することを前提とした主張、直接的・構造的暴力が起こる状況は「悪」ではないかなと感じます。
研究や探究の世界でも同様で、己の力を直接的・構造的暴力の方法として用いたり、自覚なく破壊の方向へ導いてしまったりすることがあります。
自分もしくは自分達の生きるコミュニティ外での悪影響を鑑みない行動も「悪」にあたるかもしれません。
以下の国連のモニュメントは何かのヒントになるかもしれません。

ありがとうございました。
【思考コード】はとてもよい示唆をいただくことができました。
現実、学校現場でC3を目指していくことの難しさを痛感しています。

個人的には先生方、生徒さんの心の中にC3を秘めて生きましょう、というところでまずは良いのかなと思います。
その前提は「本当にこれでいいのか?(批判的思考)」「これを解消するためにどうする?(創造的思考)」が発動することです。
そうした契機を教科教育を含めた教育活動でどう展開するのか、私も模索して参ります。一緒につくって参れれば嬉しく思います。

思考コードの視座を拡張する(ミクロの気付きをマクロに繋げる)ための学術的、社会的知識が不足している生徒が多く、苦労しています。授業で取り扱った知識が既存のスキーマの活性化に繋がればよいのですが、勤務校では探究的な取り組みが少なく、もどかしさを抱いています。

お気持ち、よくわかります。
授業と探究とが直結するとも限らないのですが、もしそういう場面に出会ったら、先生方が問いかけてみるというのでよろしいのではないかと思います。全ての道具立てが常に活用できるわけでもなく、気づくトレーニングが必要なのかもしれません。
スキーマというと認知の領域ですが、実際には情動や精神運動と連関していますので、そちらをどう駆動するか、思わぬ行動がどういう意味を持つのか、という視点も大事なように思います。
私は割と「世界に横たわる傷はどういうシステムで生まれ、そのシステムを学びでどう解決するのか」という信念への問いかけも含めていますので、記憶する(しない)ということにあまりこだわりを持っていません。
形式知(形になっている知)だけでなく、実は心の奥底に暗黙知(見えない知)が積み重なっていて、それが何かのきっかけで形式知となったり、暗黙知のままだけれどなんとなく解が出たり、ということも許容しても良いのではないかな、というのが私の今のところの解です。
ですから、認知・情動・行動を見つめ、その意味をことばにしてみたり、ありたい姿と照らし合わせてフィードバックしたりすることが大事だと思っています。
長文、申し訳ありません。

ご講演、ありがとうございました。

指導実践について。
学校全体で探究の授業をやられているわけではなく、特定のコースでのみ実践されているという認識でよろしかったでしょうか。

特定のコースでの実践ばかりです。
ようやく学校全体での取り組みとなったのは札幌日大中高です。
特に探究の取りまとめをする分掌(未来創造教育部)が昨年度全コースを含めたグランドデザインを描き、今年度から実装しています。
4月の高校校舎・中高一貫校舎全員参加の探究宿泊研修から始まり(今までこういう交流すらありませんでした)、現在は探究を探究するための教員チームをつくり、持続する取り組みをしています。

総合型選抜の準備をするのにどこで時間を作ればいいのか、とても悩みます。普段の授業の中で行うのか、夏休みに一気に作り上げるのか。担任がいつも悩んでいる姿を目にします。時間の作り方でよい方法があれば。

時間を延々とかけるのは得策ではないと思いますが、実質的に高3の5〜6月くらいから取り組みを始めるというのがよくあるスタートのタイミングかと思います。
この時点で、総合型に向かうか否かの判断をしてもらいつつ、その後は時間制限付きの面談(1回10分)を重ねながら対話の時間をとるというのをやっています。
ただ、直接面談となると時間を取られてしまうので、私は対話ができるまとまった時間を個人面談のように時間割を作って予約を取ってもらい、zoomを用いてきっちり時間を区切るということをやっています。
先生方の時間は有限だということも、きちんと了解いただくだけでも様相は変わる気がします。

自由に探究テーマを設定させるとどうしてもmy projectになってしまうのです。
そこで社会に目を向けさせるためにSDGs関連の問いを立てさせています。でもこれって本質的な探究ではないよなぁ、と考えるのです。大学も基礎研究分野だと社会的意義というよりは、ただ数学が好きだったり、ただ石が好きだったり、それでいいような気もするのです。
生徒にはどんな研究者も、意義をこじつけているからそれを調べてみてご覧と言っています。お話の中で、地域探究やSDGsを入り口とする探究を少し話されていましたが、高校生としてやらせる探究の入り口をどうすべきか、先生はどうお考えですか?

本質とは何か、というところだと思います。
「神なき知育は、知恵ある悪魔を育むことなり」という言葉を私は胸にいつも留めています。
アインシュタインも小原國芳も同じ言葉を語っていますね。
この時代でいう「神」というのは「善」や「美」にあたるところかと理解しています。
世界を共同体と捉えた場合、属する者が平和に生きる願いが「神」に当たるのだろうと理解しています。
科学による知見は使い手によって善にもなるし、悪にもなります。
基礎研究の意義は重々承知ですが、科学者各々が、いつかどこかで自らの知が世界と繋がり、貢献できると願い続けることが大事なのではないかと思います。
ただ数学が好き、石が好き、をどう超えるのかということを語り続けられると良いのですが。
基礎科学はそれ以外の世界での産物(応用科学や経済社会を含みます)によって支えられていることも事実です。
好きだから自己の世界で好きにやっていい、というものでもないだろうな、と思います。
簡単に二項対立の構図に巻き込まれがちな論点ですが、そうでもないと思うのが、私の心中です。

どうしても生徒は自身の生きる範疇や経験のみで物事やその価値を考えがちなのですが、生徒の世の中や世界に対する視点を広げるために、どのような考えが必要だとお考えでしょうか?

自分たちを相対化できる場に連れ出すことだと思います。
他流試合、異文化体験、留学など、自分たちの持つ価値観とは大きく異なる場を経験することは、直接の経験だけでなくともできるという感覚を持っています。
私の場合は動画や書籍の講読をよくやりますが、私学の場合は学校のお取り組みで色々工夫して実現できるのではないかなと思います。

レベル2までで戦う生徒にとっては、必ずしも総合的な探究の時間の活動でなくても武器になるのではないかと考えました(別の言い方をすれば、レベル2までは他教科が探究をより意識したほうがよいと考えました、総合的な探究の時間は限られているので)。どういう働きかけ(先生方に対する働きかけ含む)枠組みがあったら探究以外の教科で、レベル2までいけるようになるでしょうか。

ご指摘の通りだと思います。
総合的な探究の時間でなくとも、例えば部活動等でも、もちろん教科の探究でも素材になります。
教科の探究の場合は「アナロジー」をもとにC軸へ飛ぶ授業を拝見したことがあります。
例えば、日本史の授業の元寇を取り扱った後、「もし日本とモンゴル帝国・高麗が平和的解決を目指すとしたら、どういう方法が考えられるか」という問いのもと、PBLを展開する授業がありました。
これは元寇という侵略行為に対する批判的思考のもと、新たな解を導く創造的思考を展開する試みです。
取り扱ったテーマを批判的に捉えて問いを提示する、という方法は考えられると思います。
探究は新たな価値を生む行為ですので、単にC軸=解は無限というよりも、教育活動を通してどういう価値を生み出していくのかをお考えいただけるとよいのかと思います。
理想としては生徒さん自身の内なるところから批判的な問いが生まれることを期待します。
それは自身の信念や価値観とのズレや重なりから生じます。
信念や社会ドリブンですので、他者から与えられてしまうと駆動は難しいだろうな、とも思います。

本日は、参考になるお話、ありがとうございました。本校は大学附属なので、志望理由に対する指導方法を改めて教えていただいたような気がします。是非、本を読ませていただきたい、と思います。

ありがとうございます!ぜひお読みください!!!
こちらで、先月末に刊行した『改訂版 小論文のルールブック』(KADOKAWA)の読み方が紹介されております。
こちらもご覧ください。

また、先日探究の話をYouTubeでしたものもあります。

基礎基本の学力の担保の上に総合型選抜受験があると思いますが、生徒は安易に総合型選抜を受験したがる状況になることが多いのですが、生徒にそこを理解させることが、非常に難しく思っています。生徒へ何かよいアプローチの方法はありますか。

そうした場合、共通テストや学科試験が課される総合型選抜をご提案なさるのは一つの方法かと思います。
そもそも試験科目が少ないから受験するという前提であれば、受験者の外部英語検定試験や活動実績のレベルが高くなるということです。
そうしたリスクを伴うことをご理解いただくとともに、逆に共通テストや学科試験が伴う総合型選抜は、一般選抜を前提とする受験生には有利に働きます。
こういうロジックで話してみるとよろしいのではないかと思います。

講演内容ではないのですが、総合的な探究の時間が今年度より始まりましたが、各学校さんで、授業時間割で週に一度、横並びでおこなっているのか、またはバラバラの授業時間帯で行っているのかをお伺いしたかったのですが、タイミングを失ってしまいました。何かの機会に議論ができればと思いました。

これは学校の時間割の設計段階で色々交渉しています。
ただ、学年同じ時間で取り組むケースの方が、関わる先生方が多くなり、業務が分担しやすいということから、こういう選択をなさる学校が多いです。
これが叶わない学校でも、発表会は全てのコースで同じ日に設定するなど、教務の先生方のご協力のもとで形にしています。

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