上京消滅物語
八重洲地下街の喫茶店で珈琲を飲んでいたら、突然、照明が消えてガガガという音と共に天井がぱらぱらと崩れてきた。
――終わった、と思った。
このまま東京で地下街の瓦礫に埋もれて儚い20数年の人生を終えるのだ。
悲壮な想いを巡らせたのに、周囲はいたって冷静だった。相変わらず音と振動と天井ボードが崩れるのは続いているのに。
よく見ると、店の中で脚立に乗った作業員の人が何やら天井に電動工具で穴を開けている。なんだ、工事か。いやいや、ちょっと待って。工事なのはわかった。けど、営業中だよ? お客さんテーブルにいて何か飲んだり食べたりしてるよ?
状況がよくわからない。僕はぽかんとして他のお客さんたちの様子を伺うのだけれど、とくに何も気にしている様子がない。みんな自分の世界に入ったまま何かを口にしたり、誰かと話したり、黙って何か読んでる。
店内の照明がほとんど消えて、音と振動と天井からの埃やボードの欠片が珈琲やナポリタンにトッピングされてるというのに。
強いな。これが東京なんだと思った。
これが関西だったら。控え目に言って「この店、どないなっとんねん」案件だろう。「客おるのに電気消して工事始めるって、どないやねん。なんや、俺ら見えてへんっちゅうやつか? 幽霊か? ほんならこのまま金払わんと出て行っても幽霊やしええねんな?」
ぐらいのことを言うお客はいる。盛ってない。
なのに東京の玄関口・東京駅八重洲地下街の喫茶店のスタッフやお客さんは誰も何も言わず気にする素振りもなく、淡々と照明の消えた店内で日常のつづきをしてるのだ。
いや、そんなの東京でもレアだよと言われるかもしれないけど、とにかく僕は社会人になって初めての上京の洗礼をこんなふうに受けたのだ。
*
上京という儀式がある。あるいは、かつてあった。
東京出身者以外の人が東京に何かの目的を持って向かうときの儀式。
いまはもう東京もそれ以外もフラットになって、とくに上京とか意識しないのかもしれない。
まあそれでも2000年代の初めころまでは、上京という言葉には「響き」があった。まるで自分が裸になって街そのものからオーディションを受けるような。
くるりの『東京』の世界線を思い出す。
東京の街は誰も待っていないし、誰も拒みもしない。街中が鏡のようで、上京した人間を映し出す。
馴染んでいる途中の自分は、変だと思う。馴染む方向に進んでいることが変だし、馴染めないことが変だし、馴染んでしまったところも変。すべてが変なのだ。
そんな変な自分をわけがわからないと思いながら、街の流れの一部になる。誰ともうまく話せない。飲み物を買いに行く。
*
上京して八重洲地下街で珈琲をひとり飲んでいたのは、武道館に行くためだった。といってもライブとかではない。
社会人になって僕が入った会社は、その頃毎年、本社のある東京で武道館を1日貸し切りでイベントをやっていた。入社式だか新しい事業年度のキックオフだかなんだか忘れたけど。
僕はいろいろあってみんなと1年遅れの就活で入ったので2月ぐらいから関西の支社で研修を受けてて、一応4月を迎えてそのイベントで上京したのだ。
武道館も中に入ったのはそのときが初めてだ。いろんな事業部や社内のクラブがそれぞれ横断幕や幟を飾ってて、ロックな音楽が流れていてなんだか学園祭だった。まあそのときから、お祭りの中より、周辺にいるのが好きな自分の間違った選択は変わってない。
というか会社のイベントで武道館に向かってるのになぜひとりだったのか。
僕が配属された制作部のチームはみんなで同じ新幹線に乗って武道館に向かうのは知っていた。だけど、なんとなくひとりで行きたかった。どうせ、向こうに着いたら嫌でも一緒になって何かするのだ。
東京は常に祭りだという表現がある。どこに行っても人が多く「きょうは何の祭り?」というネットスラングもあった。これも最近あまり使われない気がする。
オーディションと祭りが溢れる街、東京。常に何かが試され、新しい何かに人が集まる街。だからなのか、会社の先輩のひとりは仕事で東京に行くときも常にカバンの中にストッパ的なものを忍ばせていた。
新幹線が三島を過ぎたあたりからいつもお腹が痛くなるのだという。おかげで僕の知識には「三島=お腹痛い」が刻まれた。いまでも、新幹線で三島を通るときはなんとなくお腹を気にしてしまう。
べつにその先輩はすごくよわよわだったわけでもなく、なんなら格闘技のシュートボクシングもやっていてむしろ強かった。そんな先輩ですらお腹が痛くなってしまう東京とは。
僕はそんなことをひとりぼんやり考えながら上京する新幹線で輸送されていたのを覚えている。
これもその先輩だけど、クライアントへのプレゼンか何かで東京に出張したとき渋谷のホテルに前乗りで泊まっていた。
夜、食事に行くのにセンター街を歩いていたとき、何かの拍子でチーマーとちょっとしたトラブルになった。たぶん、どこかの店の前でたむろしていたチーマーが因縁をつけてきたのだろう。
90年代~00年代前半の渋谷センター街はチーマーと呼ばれる、いまでいう半グレとかストリートギャングが幅を利かせるやばい街だった。
その気になれば秒殺できたのだけれど、先輩はなんとかぎりぎりとどまって黙って因縁をいなした。大事なプレゼンの前に傷害沙汰を起すわけにはいかない。
食事をしてホテルの部屋に帰ってベッドで寝ようとしたのだけれど、眠れない。チーマーに因縁をつけられてなめられた怒りがどうしようもなくこみ上げてくる。
先輩はベッドから飛び起き、めちゃくちゃな格好で深夜のセンター街に飛び出していった。あのチーマーを見つけてしばき倒す。もう明日のプレゼンはどうでもよかった。
そこら中を走り回ったけれど、因縁をつけてきたチーマーはどこにも見つからず、どこかのゴミ箱を蹴り上げてホテルに帰り、眠れないまま最悪のコンディションでプレゼンに出たのだという。
ただそれだけのオチもなにもない話だけど、なぜかその話を聞いたときのざらっとした気持ちは覚えている。何にざらっとしたんだろう。もしかしたら東京という街の言葉にならない部分に対してかもしれない。
2020年代。渋谷の街はまた変わろうとしている。
いま、上京するのにお腹が痛くなる若者はどれだけいるのだろう。ストッパ下痢止めEXはカバンに入ってるだろうか。
たぶん、絶滅危惧種ばりに少ないんじゃないかと思う。もう東京は試される街でも祭りの街でもないのかもしれない。