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鳩たちのVシネマ

名前のない場所が好きだ。知ってる人は知ってるけれど、ほとんど誰も気にしたことがないエアポケットのような空間。
 
なんで、そんな場所に惹かれるのかは自分でもよくわからない。たぶん、馴染むからだと思う。身体的にも魂レベルでも。そこでは名前も知らない人たちが、名前のない時間を過ごしている。そういうのが好きなのだ。
 
ビルに挟まれた昼下がりの小さな広場に僕のひとときの居場所を見つける。

ささやかな植栽と、変なところに窪みのある石のベンチ(それは座りたい人も、座りたくない人も拒否してるように見えるデザインをしている)がいくつか並んでいる。

広場というより、射出成形機でつくられた何かの余りを寄せ集めたような場所にしか見えない。


 
細かな数字が打ち出された書類の束と鞄を抱えた初老の男性がやってくる。僕はその男性を見て「小谷さん」と勝手に名付ける。
 
小谷さんは、ひとしきり書類の数字を追いかけると、ふと足元に目をやる。

鳩と目が合ったみたいだ。小谷さんは書類の束をくたびれた鞄に戻すと、代わりに鞄の中から見るからに硬そうな古いパンを取り出し、つまんで鳩に投げつける。
 
餌をあげているというよりも、あっちへいけと言わんばかりに無表情のままだ。

礫のようなパンを投げつけられた鳩は、一瞬だけ引いて、それでもすぐにパンの欠片に近づいてついばみ続ける。
 
そこに向かい合うように、今度はカップヌードルとコンビニの袋を手にした長身のダブルスーツ男が現われる。
 
まるで、Vシネマの撮影現場から抜け出してきたような男。Vシネマって言って通じるのだろうか。わからないけれどそうとしか表現のしようがない。

Vシネ男のダブルのスーツは皺ひとつない。男はまるで、ついさっきスーツに包まれたままクリーニングされてきたかのように真っさらな表情を崩さず、持ってきたコンビニの袋から菓子パンを取り出し、カップヌードルと交互に食べ始める。

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よく磨きこまれた靴を大股に拡げ、どこかでディレクターがOKを出すのを待っているかのようにひたすら食べ続けるのだ。Vシネ男の足元にも、小谷さんから離脱した数羽の鳩が8の字を描きながら何かを期待して集まってくる。
 
決して弱くはない夏の太陽の下で、額に汗しながら、きちっとした身なりを崩すこともなく鳩にまみれてカップヌードルと菓子パンを食べなければならない理由はどこにあるのだろう。


 
やがて、いつまでたってもディレクターのOKが出ないことを悟ったのか、Vシネ男は黙って立ち上がり、スーツのポケットから取り出したハンカチ(これも皺ひとつない)で食べかすを丁寧に払い落とし去っていく。

もし、たとえば場末のラウンジの薄暗がりのもとで小声で何かを相談しているVシネ男と居合わせたら、きっと彼がこんなところにいる姿は想像もできないだろう。そう考えると、なんだかおかしくて哀しい。

けれど、毎日、すれ違い通り過ぎていく無数の人たちもまた、僕の知らない場所で鳩にまみれたりしているかもしれないのだ。
 
地下鉄の吊り革で背中あわせになった女性は、時折、反射するトンネルの光の中で、上司からもらった熊肉の缶詰の料理法に頭を悩ませているのかもしれないし、書店で立ち読みする学生は、自分のスマホに棲みついたフィンランド人のおばあさんの消し方を探しているのかもしれない。

エレベーターホールですれ違った若いお母さんは、どこかに鉄アレイを置き忘れてきたことを思い出して飛び出していったのかもしれない。

そう考えると、自分ひとりだけが何も知らないような気もしないでもない。


※昔のnoteのリライト再放送です