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靴底だけ置いていく

「あいつ、靴底だけ置いていったんだよ」

すれ違った、どこかの知らないリーマン二人連れの会話が不意打ちだった。

「やつは、そういうとこあるからな」

片方が同意しながら、あるあるという顔をしている。


――靴底だけ置いていく?

なんだか唐突に口の中に「おでんのちくわ」でも突っ込まれた気分になる。訳がわからない。

どこかのオフィスなのか、路上なのかに置いていかれた靴底の様子が浮かぶ。

けど、どういう状況なんだろうか。そもそも靴底だけ置いていかれたら、その人は靴底のない靴で歩き出すことになる。

さすがにそれはないんじゃないか。いくらなんでも違和感ありすぎるだろう。

靴底のない靴で歩く気持ちと感覚を想像してみるのだけど、想像するだけですごい欠落感がある。それなら最初から裸足のほうがまだいいんじゃないか。

もしかしたら、それは高度な比喩かメタファーとしての「靴底だけ置いていった」なのかもしれない。それならありそうだ。

靴底はたぶん「抜けると困るもの」だ。

抜けると困るものをうっかりなのか、作為的なのかリーマンたちの同僚か知り合いの「あいつ」は置いていったのだ。

抜けると困るものはいっぱいある。お風呂の栓もそうだし、コーヒーカップの底も困る。スマホの画面だって抜け落ちてフレームだけになったのを知らずに持ち歩いてるのに気づいたら「世界が抜け落ちた」気分になると思う。

けど、案外抜け落ちて「置いていって」も、実はなんともないものもあるのかもしれない。

何かが抜け落ちたり、なくすことでしか見えてこない世界もある。

「あいつ」にとっての靴底もきっとそうだったんだろう。