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答えでふしぎな気持ちになる

人生は封印された謎なぞのようなものだ。

と書いてみたけど、とくに深い意味はない。「人生は~」ではじまって「のようなものだ」で終わる人生構文を使うと、どんな書き出しでもそれっぽくなる。

人生は3日目のカレーのようなものだ。
人生は猫パンチのようなものだ。
人生はロンギヌスの槍のようなものだ。

ほらね。なんとなく意味深く思えてしまう。どれも意味はないけど。

いま、欲しいものがある。昼休み、唐突に妻が言った。

あ、フリーランスのふたりなので会社じゃないんだけど、なんとなくそういうテイで昼になることがある。

3文字だよという。いきなりのクイズだ。そういうのたまにある。

3文字で欲しいもの……「やすみ」? ではないらしい。概念ではなく物体だって。

これは純粋に「欲しいものクイズ」なんだろうか。それともメタ的な何かメッセージなんだろうか。どっちもあり得ると思いつつ、でも答えを探す。

外で使うもの? 

ノーヒントではさすがに日が暮れそうなので、ヒントをもらう。

外でも中でも使う。なるほど。

いまも持ってるもの?

いまも、持ってるものらしい。

ピアス? ではない。マウス? 近い!

わからん。

おじさんがハマるものだよ。妻が言う。なんだそれは。

ゴルフ?

それ、欲しいとかじゃないよね。

外でも中でも使えて、いまも持っていて、おじさんがハマるもの……。

こういうとき、何がなんでも絶対に自分で答えにたどり着きたいときと、そうでもないときがある。ないですかね。

きょうは、そうでもない日だったので素直に降参して答えを教えてもらう。

「レンズ」

はー、それか! 言われてみればたしかにそうだ。外でも中でも使えて、いまも持っていて、レンズ沼にハマってるおじさんはたくさんいる。

100mmのが欲しいんだよね。

APS-Cで100mmの単焦点レンズ。なんとなくわかる気もする。広角で見たいのでもなく望遠でもなく、なにか「これ」というものをちゃんと浮かび上がらせる。そのイメージだと100mmってなるよな。

欲しいものクイズというか謎なぞが解けて「レンズが欲しい」と知るのと、そういうの何もなくて「レンズが欲しい」と聞くのでは何かが違ってくる。

同じことなのに、ふしぎっちゃふしぎだな。