人間になったのかなって話

こんにちは、ひじき茶々です(*´ω`*)

家事、勉強、読書の合間のまったりとした時間に、ぼーっとしながら、描いてみます。

今を生きている。

それはとても難しくて、今も課題。

僕はいつだって、自分の感情を考えてこなかった。
僕以外の感情を優先して生きてきた。

感情ってなんだろう。とか、自分は無感情なんじゃないか。人間ではないんじゃないか。

そんな不安がいつも渦巻いていたんだ。

生きることの曖昧さ。
足元がグラグラするような不安定さをかかえて。

生きづらさをかかえて、数十年を迎えて、
それは嬉しいような悲しいような、苦しいような尊いような。

色んな感情がいりまじっているきがする。

僕のここ5年くらいの間で出会った驚きは、
「HSP」(ハイリーセンシティブパーソン)と言われる性質について、知ることが出来たことだ。

敏感すぎる人たち、人一倍敏感な性質などと、呼ばれている。

HSPのことを知っていくにつれ、私は異常では無いんだという安堵をしていく。

関連の本を読み進めていく。できる時にできるだけ読んでいた。

私の人に理解されない「気にしすぎ」と評されるこれは性質だったんだって、腑に落ちた時。

過去の自分を優しく撫でたくなった。
「辛かったね、怖かったよね、苦しかったよね。ごめんね。ごめんね、生きててくれてありがとう。本当にありがとう」

私の中で「自分のせい」だと思っていた事柄を、少しずつ少しずつ緩和されていく気がした。

私がだめだから。私が悪い子だから。
私という人間が存在してごめんなさい。

そんな思いを抱えて生きていた。

きっと。

私は、すごく辛かったのだ。苦しかったのだ。
周りの人達と同じに出来ない苦しみ、相談しても理解されない、共感されない疎外感。一生懸命になればなるほど苦しくなっていく。

ストレス発散なんて言葉を知らないかのように、がむしゃらだった。

息をしている事が不思議で、息をしているのが申し訳なくて。

1度、生きることを辞めた。
突発的に、衝動的に。

そして、全てを諦めて手放したつもりだった。

あの瞬間、すべてを後悔した。生きていたかったと。
どうにも出来なかった。あの頃の私では。
それでも、もっと、もっと頑張れば死ななくてよかったんじゃないか。

そんなことを思う。
過去に戻ることが出来たとしても、私はきっとおなじ選択をするだろう。

あの頃のままでは、何も出来なかった。

今思っても、よく生きのびたな私。

なんで少し笑ってしまうんだ。

いま、やっと、生きている実感があるんだ。
時々、前のように霞んでしまう時もあるんだけど……

それでも、自分の感情が前ほどホコリを被っていない気がするんだ。

息を吸って吐くことが嬉しくて幸せなんだ。

感情を表すことはまだ苦手だけど、こう思ってるんだって感じて噛み締める練習のさなかだけど、

20数年たって、やっと、本当にやっと、僕は生きている心地がする。

人間になれたって、今は胸を張って言える気がする。

沢山傷ついて苦しんで、傷つけて苦しませた日々があったけど。

僕は僕の道を進みたい。自分の道を、力強く進んでいきたいんだ。

ねぇ、過去の僕。
あの時、たくさん頑張ってくれた君。
君のおかげなんだよ。いま、やっと、君を救ってあげられる。幸せになりたいと、逃げずに戦った。
君の栄誉が今の僕を形成してるんだよ。

ありがとう(*´ω`*)本当にありがとう。

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