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私はずっと嫌われ者だった ~ ③ 下校時のできごと ~

カウンセラーのふーみんです。
ご来訪いただきありがとうございます😊

こちらでは、今まで誰にも詳しく話したことのない、子どもの頃にいじめられた経験を、生まれて初めて公表しています。

その理由については「はじめに」で語っていますので、そちらから読んでみてくださいね。


生まれて初めて「私はいじめられていた」と語り始めたこのnoteですが、コレを書き始めてから、色々なことを考えているんですね。

「私は本当にいじめられていたのだろうか?」
「これをいじめと表現していいのだろうか?」
「ただ嫌われていただけなのではないだろうか?」
「私はこのときどう対応していたのだろう?」

覚えいないことも多く、特に、最後の「私はこのときどう対応していたのかな?」というのは、ほとんど覚えてないんですよね。

でも、クラスの子に嫌われたことが原因で学校を休むとかはしなかったので、きっとただ黙ってやり過ごして来たのでしょうね。

それが良かったのか悪かったのか……
今となっては何が正解だったのかは全くわかりませんが……


さて、今回は、下校時にあった思い出について語ってみようと思います。



登下校の様子

私が4年生まで通っていた松戸市の小学校は、団地の中にある学校だったので通学時間10分足らず。

走れば5分くらいで着ける距離にあったから、登校班もなくて、自由に登下校する学校だったんだよね。

ところが5年生になって転校した学校は、なんと、子どもの足で30分も歩かなければ着けないところにあって、しかも慣れない登校班とか通学帽とか……
もうそれだけでも違和感アリアリで、私は慣れるのに大変だった。

登校班というものすら知らないのに、5年生で転校したものだから、いきなりの副班長で、班の一番後ろを歩く。

ぞろぞろと並んで30分も歩いて行くのが本当に苦痛だった。

で、帰りは自由下校だったんだけど、時々、「集団下校」というものがあって。

それは全校生徒がクラス毎に並んで、クラスの同じ方向の人と一緒に帰るというシステムがあった。

クラスの子から嫌われたと感じてからは、一人で30分歩いて帰るのもそれはそれで寂しいものがあったけれど、集団下校の時間に一緒に帰ってもらえる子が居ないというのはもっと寂しかったから、集団下校の時間よりはバラバラで帰る方が少しは気楽だったかな。

ここももうあまり記憶がないんだけどね。

いつもと様子が違ったある日の下校時

今思い出そうとしてもハッキリは思い出せないんだけど、多分、通学路にいっぱいの生徒がいる景色を思い出すから、あれは集団下校の日だったのかなぁ。

集団下校の日でも一人でとぼとぼ歩くのが常だったのに、その日だけは急にクラスメイトが声を掛けて来た。

なんて声を掛けられたか、それもハッキリは覚えていない。

ただ、覚えていることは……

クラスの女の子数人から

「あなたのこういうところが頭に来るの」
「あなたのこういうところが嫌いなの」

ということを次々と言われたこと。

その場に何人居たかなぁ……

5人くらいは居たと思う。

その5人が5人……
次々と私に対して、嫌いなところ、頭に来るところをまくし立てた。

もちろん私は言葉なんて返せないよね。

私はただただ黙っていた……と思う。

泣いたのかなぁ?
多分、泣かなかった気がする。

ビックリして、そして悲しすぎて、ただ黙って聞くしかなかったんだと思う。

今ならね。
「あら、それは失礼。でもあなただって……」
くらいのことは言えるのにね(笑)

この記憶も、
何人もにまとまって言われた
という事実しか覚えてなくて、細かいやり取り……特に内容は一切覚えていない。

まぁ、辛い記憶過ぎて、記憶の中には留めておけなかったんじゃないかなって思っているけれど。

でも、そんな中でひとつだけ……
今でもずっと忘れられない言葉がある。


どうしても忘れられないひと言

もう何十年も前の出来事だから、ほとんどのことは覚えてないんだけど、この出来事の中で、ひと言だけどうしても忘れられない言葉があった。

ある子が言った。

「お母さんに相談したらさ。
 その子にハッキリ言いなさいって言われたんだよね」

その子はきっとお母さんに、私に対して頭に来た悪口を言ったんだと思う。
そしたらお母さんに「その子にハッキリ言いなさい」って言われたんだろうね。

そのシチュエーションは、小学生の私でも想像できた。

ただ、このひと言がどうして今でも忘れられないかと言うと……

「だからって、皆で寄って集って言えっていう意味で、お母さんは言ったんじゃないと思うよ?」

って、私は小学生の頭で思ったの。

その子はお母さんに「ハッキリ言いなさい」って言われて、お母さんから許可もらえたみたいに嬉しかったのかな。

でもお母さんは、きっと、私と一対一で話せと言ったんじゃないかなって思うんだよね。

もしお母さんが「頭に来ている皆で、その子を囲んで言いたいことを言ってきなさい」と言ったのであれば、そのお母さんも人でなしだと思う。

けど……これは私の希望的観測だと思うけど、大人であるお母さんは、自分のひと言で、娘が、嫌われ者の子を囲んで寄って集って言いたい放題言う図は想像してなかったんじゃないかなって思うのね。

だから私は、小学生のときに
「それ、お母さんの言ってる意味違うだろ」
って心の中で突っ込んでた。

そういう意味で考えると、私の思考ってちょっと大人っぽかったのかな。

もしかして、そういうところももしかして嫌われていたのかな。

だって、細かい悪口は覚えてないけど、
「委員長だからって、先生の手先になっていい子ぶりっ子で」
とか
「頭いいと思って威張ってる」
とか、ザックリ言うとそんなことばかり言われていたのは記憶しているからね。


あー、これを書き始めて、ひとつだけ大きな意味があるとしたら、冷静にあの頃の私に起きた出来事をこうやって分析できることなのかなぁ。

今まで「あれ? 私の思考ってもしかして少し大人びてたのかも?」って思うなんて今まで一度もなかったからね。


子どもの話にアドバイスする親御さんにお願いがあります

この経験で、今、子どもさんからお友だちのことで相談を受けたときにアドバイスをする親御さんにお願いしたいことがあるんですよね。

どうぞ、その子と話すことを進めるのであれば
「その子と一対一でじっくり話し合いなさい」
と、きちんとそのシチュエーションを細かく想像できるくらい噛み砕いてアドバイスをしてあげてください。

お母さんはそういうつもりで言ったのではなくても、子どもは自分の都合のいいように解釈します。

そうすると、私の経験のように

仲間を集って、言いたい放題言う

なんていうことが起きかねません。

これもいじめと言えるものなのかどうか、私にはよく判断できませんが、でも、私は今でもこのシーンを思い出すと胸が痛くてたまりません。

だってね。
言いたい放題言われたからって、どうしたら解決できるの?

ごめんなさいって私が謝ったとしても「じゃ、明日から仲良くしよーね」なんてしないでしょ?

その時も「うん、わかった。ごめんね」とは言った記憶があるけど、だからって次の日から皆と仲良く……なんてできなかったもの。

私が言いたい放題言われた……という事実と、大人になっても消えない傷が残っただけで、何も解決なんてできていない。

私は50年経ってもこのことを忘れられないのに、その時に言いたい放題言ってきた子たちは、きっと全員、こんなこと記憶にないんだろうな。

解決しようと思ってもいないのに、ただ「あんたのこんなところが嫌いなんだよ!」って言いたい放題言うなんて、何もいい結果は生まない。

そのことだけは、親御さんたちにも理解した上で、自分の子にアドバイスをして欲しいんですよね。

陰で悪口を言うより、ハッキリ言うことはすごくいいことだと私も思います。

でも、その話し合い方を、大人の人はきちんと子どもに教えて上げてください。

これは強く強く、親御さんにお願いしたいと思います。


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