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私はずっと嫌われ者だった ~ ④ 家の中にもあったいじめ ~

ご来訪ありがとうございます。
誰にも宣伝していないこのnoteを見つけてくださってありがとうございます😊

カウンセラーのふーみんと申します。

このnoteでは、ある日突然思い出した昔々のいじめられた記憶を書き綴っています。

その経緯についてははじめにをご覧ください。

前回の記事で、もう小学生の頃の記憶は終わりかな~なんて思っていたら、まだあった。

しかも大きな大きなものが……🤣


いじめは学校だけではなかった

前回の記事までで、学校で色々あったことを書いて来たけれど……

私が本当に辛かったのは、逃げ帰る場所がなかったということではないかなぁと今でも思っている。

もし今の時代だったら、私は不登校とか引きこもりとかを選択できたかなぁ?と考えたりするんだけど、きっとそれは私が今の子ども時代でも無理だったのではないかな……。
もちろん選択はしたかったけどね。

このnoteのことを書き始めてから、より、親のことも思い出したりするようになったのだけど、それでも母親は私のことを守ろうと、あの時代にできることはしてくれていたような気がする。

とは言っても、私が家で話していたことは最小限だったので、給食のことについて連絡帳を書いてくれたりね。

そういうことはしてくれていたから、私は実家に居場所がないとずっと思って来たけれども、私が辛い思いをしていることに関して、知らんぷりしていたわけではないし、それでも気にせず学校に行けとしていたわけでもなかったんだな……という、今まではあまり認められて来なかった「事実」を改めて認められるようになって来たのは、この記事を書き始めて自分の過去と向き合い始めた効果かもしれない。

それでも私は逃げ帰る場所も引きこもる場所もなかった。

というのは、家には私を大嫌いな人が居たからだ。


姉は私のことが大嫌いだった

私には8歳上の姉がいる。

私が生まれたとき~幼稚園くらいまではそれなりに可愛がってくれたのだが、私が小学生くらいになったら、どんど私のことを嫌いになって行った。

もちろん私は嫌われる理由がまったくわからなかった。
その理由がハッキリわかるようになったのは、私が大人になってカウンセラーという仕事をし始めてからだ。

姉の私に対する嫌悪感は異常なほどのものだった。

私と姉の部屋は一軒家の2階の隣同士の部屋だったんだけど、夜中に咳き込んでいた姉に、次の日
「お姉ちゃん、昨夜、随分咳き込んでいたけど大丈夫?」
と聞くと
「何? 自分が夜遅くまで起きてたって自慢したいの?」
と言われる始末。

母の日に「エプロンをプレゼントしようかな」と言うと、
「エプロンは私が毎年プレゼントしてるんだから!」
と叱られる。

いつもいつもこんな状態だった。

姉とのエピソードは山程あるが、一番古い記憶で強烈なものが、小5の夏休みの出来事だった。

泣いている妹の頭を跨いで行った姉

小5の夏休みのある日。

私はお小遣いを持って、近くのパン屋さんにポテトチップスを買いに行った。

それがとても嬉しくて、走って帰って。
部屋で食べようと、ポテトチップスを片手に持って階段をとんとんと掛け上がって行った。

8段目まで上がったとき、足をズルっと踏み外した私はつんのめったままの姿でダダダダダーっと一番下まで落ちた。

実家の階段は角が尖っていたので、スネを思いっきり擦りむき、私は痛くて階段の下で「痛いよー!」とうずくまって泣いた。

……と、その時、私の頭の上を無言で跨いで通り過ぎて行った。

まるで、泣いている妹に気づかないようだった。

ちょうどその時、キッチンに居た母が、その様子に気づき、姉に
「なんで妹が泣いているのに、無視して行くの!」
と、さすがに怒ってくれた。

それに対して姉は
「だって落ちた自分が悪いんじゃん」
と。

そのひと言だけ言い放って出かけてしまった。

家の中のいじめは友だちに嫌われるよりキツかった

姉との出来事は、もちろんこれひとつじゃない。
姉にされた、言われたいじわるを書き始めたら、それで本が1冊書けてしまうくらい、色々なエピソードがある。

あまりにあり過ぎて、娘にもほとんど話していないけれど、母が亡くなったときにされた仕打ちはあまりに可哀想で、成長した娘に
「こんなことがあったんだよ」
と話したことがある。

そのときも淡々と話そうと思ったんだけど、やっぱりその出来事は涙なしに話せる内容ではなかった。

と言うか、母が亡くなったときにまでひどい仕打ち!?
っていう話だよね(苦笑)

実は母が亡くなったのはもう25年以上前の話なんだけど、1周忌のときに、もう許せない!ということが起きて、それ以来、私は姉と口を利いていない。

そう。大人になって絶縁状態になっている。

もちろん私は世の中でたった一人と姉とそんな風になったことに対してとても寂しい気持ちもあるし、子どもの頃は何度も私が折れて仲直りしたけれど、でもやられた仕打ちの数々を考えたら、もう折れる……という気持ちはまるで残っていない。


私が学校でされたいじめをなんで耐えられたのか……

もう、そのときの本当の気持ちを思い出すのは難しいのだけど、ひとつ考えられるのは、それでも家に居るよりはマシなときがあったからというのも、大きな理由のひとつのような気がする。

姉が居なければ私も不登校になりたかったし、引きこもりたかった。

でもそんなことをすれば姉に何を言われるかわからない。
家の方が針の筵(むしろ)なのなら、まだ他人に嫌われていると感じている方が楽だったのは確かだった。


学校や職場でいじめにあって苦しんでいる人へお伝えしたいこと

私はいじめのニュースを見るたびにいつも思っていました。

学校や職場でいじめにあっても、もし家に逃げ場があるのであれば、遠慮なく逃げてください。

そして、ご家族のかたは、逃げてきた家族を温かく迎えてあげてください。


外でどんないじめにあおうが、どうせ他人。
一生付き合うわけじゃありません。

辛い思いをして我慢している必要はないんです。

私のように家の中にまでいじめがあるより、それも兄弟に思いっきり嫌われるより全然マシです。

逃げずに我慢しようなんてしなくていいんです。

無理にわかってもらおうとか、解決しようなんてしなくてもいいんです。

私は姉とも縁が切れています。
嫌われた人とはわかり合えるなんてことはないんです。

だって、嫌いたくて嫌っているんですから。

大人になった今、姉は姉で母の被害者だということは理解できました。
でもきっと、それ自体を今でも姉が気づいていないんではないかと思っています。

だからわかり合える日なんて、一生やって来ないでしょう。


この1記事で姉のことは終わりにして、また学校のことに戻ろうと思っていましたが、姉がどうして私をいじめていたのか……

その理由についてだけ、次の記事に書いて、それからまた学校のことに戻ろうかと思います。

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