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2022.08.25(木)

8/25(木)晴れ 曇り?

昨夜2時 イクオ(イーヤンのこと)、バーから帰宅。

5時半 ミミ起床。
6時 ミミと二人で散歩。

昼 ホットドッグ風トースト、ハニーバナナトースト、サラダ。

14時 イクオ、個人練のためスタジオへ。

16~16時半 ミミと寝る。
起きた瞬間泣きじゃくるミミ。まったく泣き止まないため、気分が変わるかと外へ。それでもなかなかおさまらず。

30分ほどマンションの近くをウロウロしていると、スタジオから帰り二人が家にいないことで探しに出て来たイクオと行き会う。
家に戻りイクオがミミをあやす。
しばらくぐずっていたがやがて落ち着く。
なんなのか。
具合でも悪いのかと思うが特にそんな様子もなく。理由なき癇癪か。

山田風太郎『育児日記』読了。
非常に面白く読んだ。
山田氏のお子の成長を、ミミと照らし合わせながら読む。
しかし0歳の子に葡萄酒を飲ませたり、はたまた子が自分のウンチを食べてしまったり。読んでいて思わずぎょっとする。
ミミにスイカの2、3カケ食べさすにも、腹を壊しはしないかと気を揉む自分がよほどの神経質に思えてくる。

昭和三十五年十一月二十日(上の子5歳、下の子2歳)の日記。
「子供が無心に遊んでいる。それを眺める父親の心は母親よりは冷淡であろうが、それだけ複雑なものがある。冷淡だから複雑なのか。複雑だから冷淡なのか」

以前イクオに「花ちゃんは、子どもができてからの俺の気持ちを考えてくれていない」と言われたことがある。
産まれてからは子、子、子ばかり。はたまた自分のことばかりで、男親の心というものを真面目に考えてみることをしなかった。彼らの内面に起こる複雑さを、改めて気付かされる。

子はかわいく胸が苦しくなるほどであり、堪らなくなって不意にぎゅうと抱きしめてしまったりする。果たして山田氏にもそんなことがあっただろうか。
淡々と綴るその調子からはわからない。
直截な言葉はほとんど書かれていないのに、子のことを書き記す日々の集積(それは上の子が産まれてから少なくとも13歳になるまで)、つまりこの“日記”それ自体が愛のようで、山田氏の素直に子を慈しむ気持ちが、日記全体から立ち上ってくるようで、とても好きだ。

夜 豚肉の焼いたの、もやしの炒めたの、きゅうりの浅漬け、健康太巻き(根菜)、豆腐屋さんの厚揚げ煮。

入浴時、イクオもミミを湯船の中へ立たせてみる。
その後ミルクをイクオに任せたがミミ寝ず。元気に這い回る。
転んで顔を打ちつけ、目の下と鼻の付け根が赤くなっている。保冷剤で冷やす。

イクオ、ミミをはしゃがせ興奮させる。余計に寝なくなるだろう。
「いいよいいよ寝なくて。21時までは」
まるで他人事のような言い草にムッとし、
「そうだね。それまで私がみるんだもんね」
と言うと、じゃあ俺もこっち(寝室)にいようか、と。
電気を消し、イクオと私、布団で寝たふりをするが効果なく。二人ともミミから裏拳や蹴りを食らわされ、それぞれ暗がりでひっそり痛みを堪えるのみである。

20時半 ミミ就寝。

ミミ 9ヶ月と25日
最近は床に落ちた米粒ほどのゴミを、そのまま顔を付けてダイレクトに口に入れようとする。止める暇もない。口を開けさせ、指で掻き出す。

髪留めなど、危なそうなものを手にしていているとき。しかし取り上げるとものすごい癇癪を起こしたりするので、一瞬躊躇うようになってしまった。

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