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新潮2023年1月号…平野啓一郎と書評(五大文芸誌も読んでみよう…その6)

五大文芸誌…文學界(文藝春秋)、新潮(新潮社)、群像(講談社)、すばる(集英社)、文藝(河出書房新社)

これら五大文芸誌(以外の文芸誌も)の過去号を図書館で借りてきて、読んでみる企画(と言えるのか)。
読むのはもとより存在自体も知らなかった…というテイタラクな海外好き日本文学苦手な自分も、少しは今の日本文学シーンの一端の端っこくらいは味わないと…


平野啓一郎「富士山」

五大文芸誌読もう企画、最後になった新潮(文芸誌の中で一番歴史ある(2023年で119年)。最後になった理由は、たぶん自分的には日本文学ばかりで地味?な印象だったからだろうけれど。例えば文藝や群像は厚くて迷うけど、新潮は小説をじっくり読める程よい厚さなのかも。あとは、歴史あるからか、日本文学の発掘品が時々出てくる(この号では坂口安吾、他の号では石川淳、川端康成、井伏鱒二ほか)。

さて、昨日、どれ読もうかと新潮のサイト見ていたけれど、結局その時は見なかったこの号に。とりあえずは読もうとしていた平野啓一郎の「富士山」を読む。コロナとかマッチングアプリとか出てくる作品だけど、物語は淡々と…ではなく、誘拐事件に無差別殺人事件に、短い(20ページ)中に盛っている。初めてなので、これがいつもなのかどうかは不明。その他、書評「私の書棚の現在地」も二人分読む。
(2024 02/04)

私の書棚の現在地、ほか


上記「私の書棚の現在地」から(この項の作品は読んだの日曜日)。

 詮索しようがない、詮索しない方が楽しめるのではという短編の佇まいは、どれもいつにも増して「他人」のように見える。電車でたまたま隣に座った人の十数分の話のように、どの小説も鮮やかで、忘れがたい独自の印象を残す。
(p242)


評者は津村記久子、ここで論じられているのは「アホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション」岸本佐知子、柴田元幸編訳。この文の始めの方も終わり方もわかるけれど、「他人」ってなんだろう…これは読まねば…

 小説家でありつつ自らをとりまく現実を正直に書く、ようするに素晴らしい日記やエッセイを書くには別の技術がいる。しかしそれはフィクションが「嘘」であるというよくある一般論とはまったく違う話である。むしろ真実はその逆で、フィクションが「ほんとうのこと」だからこそ小説家は目の前の現実に敗れるのだ。
(p243)


こちらは評者は町屋良平、ここで論じられているのは「無人島のふたり」山本文緒。町屋氏はここで、山本文緒はそうした小説家の現実への「予断」をこえて日記を書ける稀有な作家だと述べている。

円城塔の「幽斎闕疑抄」(ゆうさいけつぎしょう)も少し読む…これは戦国武将、細川幽斎がAIだったという話で、剣術AIと古今伝授AIの違いなどが俎板に載っている。
(2024 02/08)

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