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「ひとつの町のかたち」 ジュリアン・グラック

永井敦子 訳  書肆心水

西荻窪 音羽館で購入

書肆心水
このグラックの版元は書肆心水というところ。ここもなんか特徴あって、イスラーム研究、仏教研究みたいなのがあれば、片方には明治から大戦期の政治思想(日清戦争・北一輝・芦田均など)がある。その中のまた一つの部局?がフランス文学で、ここはブランショ中心となっている。というラインナップの中では、割と穏健な部類だったのかな?
(2015 10/13)

ひとつの町のかたち


グラックの「ひとつの町のかたち」を読み始め。
グラックが中学・高校(だいたいその時期)時代、ナントの市街地にある学校の寮にいた時のことを記録したもの。この寮が厳格で日曜日に保護者と共にでなければ外出ができないというもの。そこでこの時期のグラックはその周りに広がるナントの町を想像していた…その記録。

 日に二回、通学生の波とともに、ときにはくぐもり、ときには賑やかなナントのざわめきが、上げ潮のように私たちのところまでやってきた。
(p18)


作者は成人してから後、もう一度ナントに住むことになるが、その時はこれほどまでに町の印象が頭の中にかたちつくられることはなかったという。
またグラックはもう一作ひとつの町についての記録・スケッチを書いているのだけれど、それ(ローマ)は解説によると否定的な意見が目立つという。

アンジェとナント


なんだか地図帳や路線図を穴の開くほど見ていた人には懐かしい感じがする「ひとつの町のかたち」第2章。

グラックの生家はナントとアンジェのちょうど中間、アンジェが県庁所在地の県側で家のつながりもアンジェの方が強かった…のに関わらず、子供の頃のグラックはアンジェは×で、ナントは○。理由の一つは人口規模がナントの方が大きい、もう一つは路面電車の規模で、フランスの都市で第一の理由で×になった都市も、第二の理由で○になることもあったけど、アンジェはその「敗者復活戦」にも残らなかったという。
ということで、話題はナントに移る…

 生きたというよりも夢見ていた七年間のその過去は、片目でしか眠っていない。軟禁状態のような生活のなかでとげられずじまいだったことは、私の人生の舞台裏で、地下茎のように地下での歩みを続けている。地下茎は所々で腐植土を破って、不意に若い芽を突き出す。
(p34)


幼年期、青年期の反復がらみの行ったこと聞いたことが、何らかのきっかけで浮上してくる。
(2016 07/20)

書物と植物の根


第4章の途中まで。ナントでの木曜日の運動としての外出の影響で、今でもグラックは都市が果てるところに興味があるという。それだけだと個人的好みですが、それが彼の文学に大きく関わっていると言っているから…どうかな。
(2016 07/25)

第4章読み終え。19世紀のパリ、20世紀前半のナント始め地方都市では郊外出ずとも町中で草むらに横になってくつろぐことができたという。そう言われるとこの現代の街からの視点では、町中ではかなり無理ありそう。

 書物には植物と同じように根がある。そして植物の根と同じように書物の根にも、優雅さや華やぎはないことが多い。
(p86)


現時点のナント、グラックが青年だった頃のナント。それからさまざまな書物。これらがそれぞれ想像力という引力で引き合ったり影響しあったりする。

町を歩く、それぞれ町の外縁の目的地まで袋小路への往復となるが、それらの目的地同士が割りと近いこともあることは忘れ去られる。それらはちょうど「失われた時を求めて」の「…のほう」という表現が如実に示している。
(2016 07/26)

ナントのパサージュと美術館


ナントの旧中心街案内の第5章。まずはこの文章から。

 今でも高級住宅街には含まれるが、やもめや隠居暮らしのための場所。施錠された小さな庭から壁ごしに落ちてくる枯葉を舞い散らす風も、トタン屋根を叩く雨も、ここではよそより大きな音をたてる。
(p98)


こんなふうなイメージ喚起の文。
さてナントの名所、ポムレ・パサージュとドブレ美術館は個人の寄贈。後者のドブレは海運業者。ナントが主な旗降り役だった奴隷貿易も行っていた(少なくとも先祖が)かも。
(2016 07/27)

名所のない都市案内


「ひとつの町のかたち」第6章はグラックの都市の見方について。名所巡りな都市散策が嫌いなグラックは、それ以外のところにその都市を性格づける要素が隠れている、という。こういう都市への視線は、例えば「シルトの岸辺」などの作品にどう生かされているのだろう。

グラックによると、ナントはそういう名所的建築とそうでない建築の差が少ない都市らしいのだが、その点で似ているのはマドリッドなのだそう。
(2016 07/29)

分極と微熱と民族と

 町の内部に極めて対照的な分極が存在するとき、その町は静電気を発散し、それが町の生活特有の電圧を生む。この分極は何世紀もの歳月をかけて形成されるが、一瞬で壊れてしまう逸品だ。現在の都市計画はゆきとどきすぎていて、もっぱらこうした分極を廃絶することに無意識に励んでいる。
(p142)


第7章は港町ナント。いま、こうした分極がある都市はどのくらいあるのだろうか? こうした違った分野からの直喩の文章はグラックらしいものの一つ。「シルトの岸辺」の「発熱」の章などを思い出す。それは次の学校が蒸気船をチャーターしたエルドル川でのクルージングの思い出から続いているのかもしれない。

 この遠足の具体的な詳細は、ほとんど記憶に残っていない。その詳細は、その日のすべてに強く感じ、私の心にしみこんだ完全なる祝祭、穏やかで、猛々しい快楽とは縁のない祝祭の強烈な全体的印象のなかに飲み込まれてしまったのだ。
(p150〜151)


(2016 08/07)

グラックとスタンダールとサルトル


ナント時代のグラックと「赤と黒」。グラックは主人公の青年の上昇志向がわからなかった、と言っているが、そこを抜かしたらこの小説のどこがグラックを魅了したのだろうか(ちなみに自分もわからないタチ)。

 ひとつの町が周辺の田園地帯に投錨するやりかたや、その町がもとから糧を供給してもらっている周囲の環境とのあいだで保ち続ける複雑な交流に対してとくに注意を払うようになった
(p192)


引用文は第9章始めから。ルーアンやボルドーが周辺地域と一体となって地方圏を形成しているのに、ナントは周辺地域と自律あるいは対立している。ルーアンのフローベール、ボルドーのモーリャックとナントのグラックあるいはヴェルヌ。

グラックによる都市の一つの定義。求心力と遠心力との拮抗(第10章)。
ここのナントについての名前のイメージ考が、ブルトンらを批判したサルトルの「文学とは何か」の論法にのっかった上での逆批判にもなっている、のかな。微妙な感じもするけど…
(2016 08/11)

都市の動態論とゲーテ
「ひとつの町のかたち」昨日とりあえず読み終え。

 グラックの関心はむしろ、過去の経験やその記憶と、自分が読んだ本などが広げる創造的な世界とが、どのように自分の書くものや現実の風景に注ぐ視線に影響を与えるか、また同時に現実の世界と自分との関わりが、忘れられていた過去の記憶や、読んだ本から育つ想像の世界の上にどのように作用を及ぼすかといった、自己と現実世界と言葉の世界とのあいだに生まれる動的なメカニズムのほうに向けられている点にある。
(p254)


長くなったけど、解説のプルーストとの対比から。特に後半の方の矢印はグラック特有のものだろう。動的なメカニズムと言えば、この作品タイトルにもある「かたち」…ゲーテの形態論に通じる…ところにも現れる。生物あるいは都市は静的で閉じているのではなく、運動としてあり開かれている。こうした眼差しをグラックの都市論は持っている。

あとは、作者の執筆の仕方についても興味深い記述があった。グラックは小説作品にはあとで構成などが変えられるようにルーズリーフを使い、エッセイには綴じたノートを使っているという。しかし?「ひとつの町のかたち」と「七つの丘のまわりで」(ローマ)という二つの都市論はルーズリーフを使用しているのだそう。ということは構成等において小説と同じような配慮をしているということになるわけで…
半島を…
(2016 08/13)

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